【マイヒストリー】松永未衣奈選手

マイヒストリー

「どんな時も、その瞬間を楽しむ。いつも心にとどめる、サッカーができることへの『感謝の気持ち』」 
28 DF 松永未衣奈選手

マイナビ仙台レディースの選手に、これまでの歩みを振り返ってもらう「マイヒストリー」。それぞれのサッカー人生に物語があり、かけがえのない記憶があります。今回は28DF松永未衣奈選手に、新シーズンのことやこれまでのキャリアについて伺いました。

25歳の抱負は「目に見える結果」と「大人の女性」

――9月12日はお誕生日でしたね。おめでとうございます!どんな風に過ごしましたか?

「練習をして、練習後にはチームメートに水をかけてお祝いしてもらいました(笑)その日は、外食でお肉を食べに行きました」

――チームメートは、“水をかける”以外に、お祝いしてくれましたか?

「次の日に、かえさん(佐藤楓選手)が“お茶”をかけてくれました(笑)」

――水よりちょっと嫌ですね(笑)25歳になりました。どんな1年にしたいですか?

「サッカーに関して、昨季は勝てないシーズンでした。得点が少なかったと思うので、個人としても目に見える結果を出せる年にしたい。アシストやゴールが欲しいです。サッカー以外の面では、大人の女性になれるよう頑張りたいです」

――松永選手が思う「大人の女性」のイメージとは?

「落ち着いていて……。うーん、何だろう。私もどちらかというと落ち着いている方ではあるんですが……、もうちょっと色気が欲しいですね(笑)」

――新シーズンが始まっています。今感じていることはどんなことですか?

「チームとして、去年以上に共通理解が進んでいます。今どうするべきかということなどを共有し、少しずつ積みあがっているところかなと思います。それをピッチで表現するのは選手だと思うので、上手く表現できればと思います」

――今年のチームの雰囲気は明るいですね。

「声の量は格段に増えていると思います。コミュニケーションも取れていますし、明るい雰囲気で練習に取り組めていますね。『声出し隊長』がいて、しみさん(清水栞選手)とかえさんが担当してくれているんですが、二人が練習の初めから盛り上げてくれています」

――声を出してくれる人がいると、周りの声量も上がっていきますね。

「いい表現かはわからないですが、誰かが『わーーーっ』と声を出してくれていると、自分がそこに加わって声を出してもわからないというか。声を出しやすくなるんですよ。普段なかなか声を出せない選手も、そこに紛れて出しやすくなる。自分も出しちゃえ!みたいな感じになります」

「サッカーをする時間はあっという間」地元の先輩は、市瀬菜々さん

――改めて松永選手の歩みを伺います。徳島県出身、小さい頃はどんなお子さんでしたか?

「動くことが好きな子どもでした。走ったり、ボール遊びをしていました」

――サッカーとの出会いはいつ、どんなきっかけでしたか?

「小学校1年生です。学校の友達に『サッカーしない?』と誘ってもらって始めました。小学校の女子チームに入り、その後に男子のチームにも入りました。サッカー自体も好きでしたが、そもそも動くことが好きだったので、楽しい気持ちでしたね。時間があっという間に過ぎました」

――ポジションはどこでプレーしていましたか?

「その頃はDFでした。ボランチやサイドハーフも経験しています。でもFWはやったことがないです。自分が点を取って、『みんな、ついてこい!』というタイプではなかったですね」

――中学校年代ではどういうチームでプレーしていましたか?

「中学校で(市瀬)菜々さんと同じ部活に入ってプレーし、同時に女子のクラブチームにも入っていました。平日は部活でプレーして、中学校3年生くらいから部活の後に、クラブチームに行っていました。大会によって、男子のチームで試合に出たり、女子のクラブチームで出たり、という感じでしたね」

――徳島出身ということは、マイナビ仙台レディースで現役を引退した市瀬菜々さんの後輩ということになりますよね。

「はい。菜々さんは2歳年上なので、菜々さんが2年生の時、私は1年生でした。部活では毎日一緒に練習していました。小学校からお互い知っていて、同じ中学校に行くくらい家も近所です。親同士も知っています。菜々さんの存在は大きいですね」

「サッカーをもっと知りたい」探求する気持ちから、強豪・日ノ本学園へ

――まさか、その市瀬さんと同じ「マイナビ仙台レディース」でプレーすることになるとは、不思議なご縁です。高校では別々の道で、松永選手は2015年に日ノ本学園高等学校へ進みました。

「日ノ本に行きたいなと思って、全国大会を見に行って、そこで田邊(友恵)監督ともお会いしました。『ちょうど声をかけようと思っていたんだよね』と言っていただきました。日ノ本はその頃、5連覇していました。私自身も県外に出て、もっとサッカーを知りたいと思っていたので、進学しました」

――親元を離れての寮生活は大丈夫でしたか?

「最初は寂しくて、泣いていました。徳島を離れる時も、仲良くしていたスポーツ少年団の仲間たちが見送りに来てくれました。幼なじみはみんな仲良しだったので、離れるのは寂しかったです」

――15歳の大きな決断だったと思います。「サッカーを知りたい」という思いが強かったですね。

「もっとサッカーを知りたい。強いチームに行ってみたい。自分がどれだけ通用するのか知りたいという思いがあって、地元を出ました。日ノ本には連覇しているチームの雰囲気がありました。それ以上にサッカーに集中できる、レベルの高い環境でしたが、『サッカーだけやっていれば良いわけではない』ということを学んだ3年間でした」

――日ノ本学園出身で活躍している選手、指導者は大勢いますね。高校時代に、サッカー以外の面も学べたことが大きい経験でしたか?

「中学校と高校では、がらりと考え方が変わりましたね。サッカーができるということは当たり前じゃないということ。そして、感謝の気持ちを持つことですね。それまで親にやってもらっていたことを自分でしないといけないですから。自分で料理、洗濯もしました。そして、中学校の時までは、チームの人数も少なかったので、当たり前のようにユニフォームがもらえていました。高校では人数が多く、ユニフォームをもらえない時もありました。」

――当時支え合った日ノ本学園の同期には誰がいますか?

「宮本華乃(AC長野)、金平莉紗(大宮V)、米澤萌香(FCふじざくら山梨)。他には海外でプレーしている選手もいます。みんなから刺激を受けています。華乃とは同じクラスでした」

「インカレも、なでしこリーグも、教員免許も」すべてを経験した大学時代

――高校卒業後は日本体育大学へ進学しました。

「スカウトしてもらいました。高校卒業後に、なでしこリーグに行くという選択肢もありましたが、日体大だと、インカレと同時になでしこリーグにも参戦できる。更に保健体育の教員免許も取ることができるということで選びました」

画像=本人提供

――より多くのことを得られる環境ですね。

「たくさん経験できるし、レベルの高い環境があると思ったので。教育実習は母校の日ノ本学園に行きました」

――しかし、大学生活の後半はコロナ禍で大変な思いもしたのでは?

「大学の3、4年生はコロナ禍でした。初めて、丸2ヶ月間、家にいるということも経験しました。難しかったですね。コンディションを維持することも大変でした。近所の公園で体を動かしたりはしていましたが、大人数で集まることもできません。グラウンドも毎回使える訳でもなかったので……難しかったです。でも、この頃は、みんなそうですよね」

――茨木美都葉選手とは日体大の先輩後輩。卒業して、また同じチームでプレーするというのも縁ですね。

「はい。嬉しいです。本当に美都葉さんは頼もしい先輩です」

「いつかWEリーグ優勝を経験したい」目標をつかみ取り、全ての力が抜ける瞬間

――WEリーグ初年度のマイナビ仙台レディースへ後期から加入しました。プロサッカー選手になるという未来は想像していましたか?

「想像していないです。小さい頃はサッカーで将来の夢というのはあまり思い描いていなくて、ただただ今が楽しいとか、もっと上手くなりたい、勝ちたいという気持ちでした。もちろん、高いレベルには行きたかったですが、プロになってやるぞ!というよりは、今を思い切り楽しんで、懸命に取り組む中で、結果がついてくれば良いという考えでした」

――プロになって、マイナビ仙台レディースの選手としてWEリーグでプレーし、どのようなことを感じていましたか?

「その時は監督が松田さん(松田岳夫監督、現・東京NB)でした。練習のルールが多かったですね。他のみんなは半年長くやっているのでルールを知っているんです。私と、同期の(猪瀨)結子は理解できない状態で『はい、スタート!』と言われて。戸惑っている内に練習が終わりました。松田さんのサッカーについてくことが最初の苦労でした。大学からWEリーグのチームに入ってレベルが上がりました。みんな上手なので『サッカー楽しい!』って思いましたね」

――そこで「楽しい」と思えるマインドが素晴らしいですね。その時々、環境を思い切り楽しめるんですね。

「はい。楽しんでいます!」

――今季は早くも4シーズン目。メンバーも環境も変化し続けています。

「シーズンが変わるごとに、引退、移籍、加入がありますよね。大学でも変化はあるんですが、3~4年間はみんな一緒にいて、みんなで卒業する。プロのチームでは、毎年選手が変わっていく。オンの時だけではなく、オフでも一緒に過ごした選手たちなので、そういう時間が減っていくというのは寂しく感じます」

――仲間と過ごす時間が長いので、いろいろなことを感じますね。そこから得るものは大きいのでは?

「はい。例えば、かえさんはベテランの選手ですが、若い選手たちとたくさんコミュニケーションを取ってくれています。いつも明るい感じですが、内に秘めた思いを感じています。そういう引っ張ってくれる姿を見ると、私もやらなければいけないと思います。先輩たちの背中を見て学んでいます」

――サッカーを続けていく中での目標はどこに置いていますか?

「WEリーグで優勝したいです」

――松永選手はこれまでのキャリアで、優勝の経験はありましたか?

「高校と大学でそれぞれ優勝しています。最高ですよ。今までやってきて良かったなと、一番力が抜ける瞬間です。戦いの目から、ふっと力が抜けるような。それまでは戦わないといけないので、意識しなくてもいろいろなところに力が入っていると思うんです。休んでいても『次の週のために』と、ご飯を食べたり、ケアをしたりする。試合のためにいろいろ考えているんです。それを全て忘れられる瞬間です」

――ぜひ叶えて欲しいです。サッカーをやっている子どもたちに伝えたいことはどんなことですか?

「サッカーは楽しいということと、感謝の気持ちを持つことです。私も小学校の時は、サッカーの練習に行くために送迎してもらっていました。それは当たり前ではなく、練習ができるということにはいろんな人の支えがある。サッカーをしている時間は楽しんで、感謝の気持ちは忘れないで欲しいですね」

文・写真=村林いづみ
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