【引退選手特別コラム】 佐藤楓選手

特別コラム

「Thank you for our STARS」 19 DF 佐藤楓選手

 ベガルタ仙台レディース時代を知る選手が、また1人スパイクを脱ぐ。大分県出身の佐藤楓選手が本格的にサッカーを始めたのは小学校5年生の時。中学時代はフットサルにも取り組み、技術を身に着けていった。2011年に福岡J・アンクラスに入団。「もっと上のレベルでプレーしたい」と願い、2013年にはスペランツァFC大阪高槻(当時のコノミヤ・スペランツァ大阪高槻)へ移籍した。「大阪高槻では純粋にサッカーを楽しんでいた思い出があります。よく負けていましたが楽しかった。監督は本並健治さん、(丸山)桂里奈さんもいて、サッカーについていろいろなことを教えてもらいました。その経験が自分を成長させてくれたと実感できていました」。2017年は伊賀FCくノ一でプレー。2018年にベガルタ仙台レディースへと移籍した。

 「歴史のあるチームでプレーできたということが幸せなことだと思っています。ユアテックスタジアム仙台で初めて受けた応援の声や歓声に感動したことも覚えています。そういうクラブで長く続けて来られたということは幸せなことです」。チーム在籍8年、多くの仲間との出会いがあった。不思議と後輩たちからも可愛がられる先輩だった。「一緒にやっていて楽しいのもそうですが、仲間から教わることも多かったです。出会った仲間たちに感謝しています」。どんな時もサッカー楽しむ気持ちを大切にしてきた佐藤選手。「みんなと勝利を分かち合うというのも嬉しいですが、選手同士で考えが共有できて、みんな同じ考えでゴールまでたどり着けるときは面白い。そういうこともサッカーの楽しさだなと思っています」。ピッチ上で同じ絵を描く。その喜びはサッカー選手ならではだ。

 決断したのは2024-25シーズンの後期に入る少し前。「サッカーに対する気持ちが変わってきた。このタイミングかなと思い決めました。もうやり切ったなと思い始めていました。今年はしんどいシーズンでもありました。それでもたくさんの人に支えられている実感もあって、だからこそ頑張れたところもありました。本当に良い人たちに恵まれたサッカー人生だったなと思います」。

 仙台に長く在籍する中で、難しい時期にもチームの雰囲気を影で支えていたのは佐藤選手だった。「苦しい時こそ、なるべくポジティブにいようと思っていました。自分が暗くなってしまうと雰囲気も悪くなる。そういうのは嫌だなぁと思うタイプ。人にはそういう姿も見せたくない。それはずっと心がけていました」。自分が、と表に出ることは多くなかった。しかし振り返ればいつもそこに佐藤楓の姿があり、それがみんなの安心につながっていた。チームメートへは「自分らしくやって行って欲しいです。心から本当にサッカーを楽しんで欲しいです」とエールを贈る。

 この先のことはまだ決まっていない。「これまでやりたいことがサッカーだったので、そんなにすぐに新しいことは見つからないかもしれないです。これからゆっくり考えようかな」。新しい人生のテーマも佐藤選手らしい。「楽しむということは第一です。何かにチャレンジしていきたいと思います。何をするのかということも楽しみなんです。自分自身も想像ができていない。ワクワクな部分があります。約23年、サッカー選手としてやってきて、思い出はたくさんあります。しんどいことは本当に多かったです。でも結果的に楽しかったと思います」。数々の苦境を笑顔で乗り越えてきた佐藤楓のサッカー人生。最後に「よくやった、やりきった」と花丸をつけることができた。自分が楽しむこと、それによって仲間を守り、勇気づけてきた彼女だからこそ、向かっていく未来はきっと誰よりも明るい。

19 DF 佐藤楓選手
【生年月日】1992年1月4日
【所属歴】
舞鶴小SSS-スカラブジュニア-福岡J・アンクラス-スペランツァ大阪高槻-伊賀FCくノ一-マイナビベガルタ仙台レディース-マイナビ仙台レディース
【通算出場記録】※2025年5月11日時点
2021-22(マイナビ仙台)リーグ 13試合出場 1得点/皇后杯 1試合出場 0得点
2022-23(マイナビ仙台)リーグ 17試合出場 0得点/カップ 4試合出場 1得点/皇后杯 1試合出場 0得点
2023-24(マイナビ仙台)リーグ 7試合出場 0得点/カップ 4試合出場 0得点/皇后杯 2試合出場 0得点
2024-25(マイナビ仙台)リーグ 9試合出場 0得点/カップ 3試合出場 0得点/皇后杯 2試合出場 0得点
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