「人生は選択の連続。浦和で磨いた足元と大学で身につけた声を武器にプロ人生を歩む」
15 GK 清水栞選手
マイナビ仙台レディースの選手に、これまでの歩みを振り返ってもらう「マイヒストリー」。それぞれのサッカー人生に物語があり、かけがえのない記憶があります。今シーズン、ジェフ千葉レディースから完全移籍で加入したGK15清水栞選手にお話を伺いました。浦和レッズのアカデミー時代や大学進学、仙台で今感じていることを伺いました。
勝つことが当たり前の浦和レッズアカデミー時代。フットサルコートで磨いた足元の技術
――清水選手は東京都のご出身ですね。サッカーを始めたきっかけはどのようなことでしたか?
「東村山市出身です。志村けんさんと同じですね。私は一人っ子なのですが、両親が仕事をしていて、幼なじみのお家であずかってもらっていたんです。幼なじみのお兄さんがサッカーをやっていて、『一緒にどう?』と誘ってもらったことがきっかけですね。5歳くらいだったと思います。小学校6年生までは地元のスポーツ少年団でプレーしていて、中学校に上がるタイミングで浦和レッズのセレクションを受けました」
――現在はGKでプレーしていますが、初めはどこのポジションでプレーしていたのですか?
「小学校では男子のチームと女子のチーム両方に所属していましたが、男子の方はフィールドプレーヤーでサイドハーフなどをやっていました、女子の方ではGKでしたね。小学校の時は足が速い方でしたが、今は、このピッチの広さで90分走るのは無理です(笑)」
――ちなみに、小さい頃はどんな性格のお子さんでしたか?
「めちゃくちゃ泣き虫でしたね。よく泣いていた記憶があります。小さい頃は人見知りだったと、親には言われました」
――人見知りだった小さな清水選手が、浦和レッズジュニアユースのセレクションを受けて見事合格しました。そこにはどのような経緯がありましたか?
「その前に東京選抜に選んでもらっていて、トレセンの子たちが、浦和や(東京ヴェルディ・)メニーナを受験するという話を聞いていて、『一緒に受けない?』という声をかけてもらっていました。しかし、私はそんなに高いレベルでプレーできると思っていなかったので、“思い出受験”という気持ちで行きました。その時、GKで受験する人数も少なかったので、奇跡的に受かったと思っています」
――浦和レッズレディースの下部組織。そこからより本格的にサッカーに取り組んでいく道を歩み始めたということですね。
「レッズでの6年間は勝つことが当たり前。勝つという前提ですべてが考えられていたので、どのチームに対しても勝たなければいけないプレッシャーがありました。技術的な面では上手い選手も多かったです。中学時代からプロのように勝つことを求められてきました。楽しいサッカーというより、切羽詰まりながら毎日を過ごしていた感じです」
――強豪チームの下部組織出身の選手たちは、共通してそういうことを話してくれます。
「まさに、いぶ(原衣吹選手)や(隅田)凜さんとたまにそういう話もしますが、『もう今はあの6年間は過ごせないよね』って(笑)」
――浦和レッズのGKではどんなメンバーが揃っていましたか?
「一つ下は(松本)真未子(ドイツ、1.FSVマインツ05)です。5年間一緒でした。上には、なでしこジャパンにも選ばれている池田咲紀子さん(三菱重工浦和レッズレディース)がいて、身近な存在でした。練習場所はフットサルコートで、なかなか大きな(ピッチを使った)ゲームもできない。そこでサッカーの基礎を徹底的に叩き込まれました。足元の技術は6年間かけてじっくり教えてもらいました」
――清水選手の足元の技術は、その頃に育まれたものなのですね?
「はい。本当にあの6年間で今の自分ができあがったと思っています」
――憧れていた先輩はいましたか?
「池田咲紀子さんはユースの時からトップチームで練習していましたね。足元の技術は全て池田さんを見て、真似てやっていました。池田さんはGKの中でもそれほど身長が高い方ではないですが、世界で戦うことができる選手。池田さんは、自分にとって常に目標でした。ユース時代は恐れ多くて、緊張してしゃべれないという感じでしたが、今、試合会場で会うと、気軽に話せるようにはなりましたね。学生時代は緊張していましたが、今は年齢を重ねたので話せます」

「行って良かった」東京国際大学では、プレーする以外の視点も身についた
――その6年間を経て、東京国際大学に進学します。この選択はどのように行ったのでしょうか?
「両親とも相談して、大学はなるべく出て欲しいということと、私自身としても学生生活や部活動を経験したいという興味や希望がありました。この4年間はインカレや大学生にしか経験できない時間を過ごそうと思いました。浦和レッズでのトップ昇格ができないということもあったのですが、大学の中でもより高いレベルで良い環境でプレーするということを考えて東京国際大学へ進学しました」
――どのような4年間でしたか?
「濃すぎる4年間でした。いろんなことがあり過ぎて(笑)一言で伝えるのは難しいのですが、本当に行って良かったなと思います。クラブチームなどでは、上下関係はほとんどないと思います。年上の人に対しても、みんなフレンドリーに関わっていると思います。しかし、大学の部活動では、上下関係があります。試合のためにグラウンドの予約をするとか、そういった運営面も学生が行います。大会の審判も経験しました。それまでは、周りが全て準備をしてくれて、楽にサッカーをしてきたんだなということに気づきました」
――選手以外の立場や役割を経験すると、試合運営の大変さがわかりますね。
「東京国際大学は人数も多かったので、私はほとんどAチームにいて、基本的にはBチームの人たちが運営に動いてくれていました。同い年の人たちがそういうことを完璧にやってくれているのを間近で見ていたので、常に感謝の気持ちもありました」
――声を出し、言葉で伝えることが得意ですから、清水選手はキャプテンも経験しているかなと。
「いえ。大学では副キャプテンでした。キャプテンの子が、言葉よりもプレーで引っ張るタイプだったので、良い関係でやっていけたらいいなということを感じていました。その子ができないことは、私が補うという。レッズから一緒にやっていた仲間で、お互いのことを知っていたので、そういう思いでいました」
――今、マイナビ仙台で、練習前に「声出し隊長」をしています。みんなの前で積極的に声を出すということも、その頃の経験が今につながっていますね。
「本当ですね。大学からです。高校までは自分を主張するタイプではなかったと思います。大学で変わったのかもしれません」

人生を変えた恩師・上野拓也GKコーチとの出会い。そしてプロサッカー選手へ
――WEリーグでもJリーグでも、下部組織から昇格する選手もいれば、大学などを経由していろいろな経験を積んだことで、力をつける選手もいます。
「そうですね。本当に私は運が良かったと思っています。何度もサッカーはやめようと思ったりしました。しかし、その都度止めてくれたり、きっかけを与えてくれる人が周りにいたんです。WEリーグでプレーしていて、ジェフ千葉レディースに入れたことも、マイナビ仙台レディースに入れたということも、いろんな人が繋げてくれた縁です。周りに恵まれてサッカーを続けているなと思います」
――大学を卒業後は、当時なでしこリーグ2部のオルカ鴨川FC(現なでしこリーグ1部)でプレーしました。
「大卒で2年間お世話になりました。その時に上野さん(上野拓也GKコーチ)に1年間指導してもらいました。その1年間で上野さんに出会っていなければ、サッカーは辞めていたと思います」
――大きな影響を受けたのですね。
「はい。上野さんの明るいキャラクターが、自分と合うということも大きいですし、何よりも練習メニューの豊富さです。すごく練習が充実していました。その一年で成長できたと感じることができたんです」
――2021年からはジェフ千葉レディースへ。WEリーグが発足したタイミングですね。
「実はそのタイミングでサッカーを辞めようと思っていて、オルカの方にも伝えていたんです。上野さんもそこで浦和レッズに行ったのですが、上野さんがジェフ千葉のコーチの方に紹介してくれました。指導者の道を目指そうとも思っていたんですが、上野さんがプロサッカー選手への道をつなげてくれました。ジェフの方々が改めて、私のプレー映像を見てくれて、正式に声をかけてくれました」
――そこで、プロサッカー選手への道が拓けました。
「はい。元々自分がプロでできるとは思っていなかったんですが、プロサッカー選手は小さい頃からの夢でもありました。チャンスを与えてもらって、断る理由はありませんでした。自分が続けられるまではサッカーをしていきたいという思いになりました。上野さんへは感謝しかないです」
――ジェフ千葉では、WEリーグ発足のタイミングから3シーズン過ごしました。どのような日々でしたか?
「初年度は、チームも自分自身も上手くいき過ぎた感じはありました。全試合出させてもらって、チームもリーグで4位、皇后杯準優勝と結果が出た年でした。しかし2季目が、1季目とのギャップで上手くいかない部分が多かったです。2季目も全試合出させてもらいましたが、結果を残すことができませんでした。どう変わっていくかという3季目でした。シーズン半ばには試合に出られない時期も続きました。出られない時期には、チームの細かいところに目を向けることもできました。出られないからこそ、チームのどういうところが上手くいっていないのかな?というところを考え、目を配るようになりました」
――違った目線でチームを見て、考えるようになったのですね。
「自分の性格として、いろいろなことを気にしてしまうというか、人間観察をしてしまう癖があります。人間関係でうまくいっていないところはすごく気になったりします。勝てない時はチームが良くない方向に行ってしまいがちですが、そこを少しでも良い方向へ持って行けたらという思いが強くありました。3季目はそういうことにフォーカスすることが多くなりました。試合に出られないもどかしさはあり、力が出せなかった。だからこそ、その分もチームにどう還元していくかを考えた一年でした」

引退か、移籍か。成長のために、大きな覚悟で仙台へ
――そして今シーズンからマイナビ仙台レディースへ移籍しました。
「出られなかった期間が長かったことでいろいろと考えるようになり、自分が成長できる環境を選ぼうと仙台へ来ました。引退か、移籍か。今回も悩みましたが、仙台へ来られて良かったです」
――大きな決断ですね。決断の連続の人生です。
「毎回大きい決断です。でも悩むのは、引退か、移籍かというところですね。その度に、毎回なんとかなってきているなという感じはあるので、深く考え過ぎずにやっていくのが自分らしいかなと思います」
――仙台ではどのような目標に向かって進んでいますか?
「みんなが考えていることですが、今はまず1勝すること。(インタビューはEL埼玉戦前に実施)その時に、自分がピッチに立っていたら最高ですが、入団してからもどかしい時期が続いているということも本音でもあります。チームが上手くいっていない中で、チームの力になれていないという歯がゆさもあります。でも、本当に優れたコーチたちと良い環境でトレーニングさせてもらっていると思います。恵まれています。仙台で見つけた新しい課題に向き合い、成長も感じているので、いつピッチに立っても良いように、良い準備をしておくだけかなと思います。1勝できればチームも良い方向へ向かっていく思うので何としても勝ちたいですね」
――チームが上手くいかない時に何ができるかを、本当によく考えています。清水選手は、ちょっとフラストレーションが溜まっていそうな選手にそっと寄り添い話しかけることができます。
「年上の選手たちは経験もあり、どうしたら良いかわかっていると思いますが、このチームは若い選手も多いです。若い子たちほど、自由にやらせた方が伸び伸びと力を発揮できるのではないかと思います。自分が若い時、そうだったので。上手くいかない時は、年上の人から意見を言われることも多いと思うのですが、跳ね返すくらいの力でやって欲しいですね。なるべくポジティブな声はかけてあげたいです」
――サッカーをしている子どもたちにはどのような声をかけてあげますか?
「努力は必要だし、元々の才能の違いもあるとは思います。しかし私がそうだったように、サッカーが好きという思いがあれば、どんな形でも遠回りしても、プロになることもできます。雑草魂というか、とにかくサッカーが好きという思いで今までやってきました。辞めたいと思ったこともありますが、辞めたい思いとサッカーが好きという気持ちを天秤にかけると、やっぱりサッカーが好きという思いになるんです。それで続けて来られました。少しの時間でもボールに触って欲しい。練習は、やらされている内は身につかないと思っています。自分が「楽しい」、「サッカーが好き」と思っている内は、絶対にサッカーを続けていって欲しいです」

文・写真=村林いづみ