【マイヒストリー】江崎世来選手

マイヒストリー

「進む道は直感で、“楽しいと感じる方”へ。チームの中心的存在へと成長していきたい」 
18 MF 江崎世来選手

マイナビ仙台レディースの選手に、これまでの歩みを振り返ってもらう「マイヒストリー」。それぞれのサッカー人生に物語があり、かけがえのない記憶があります。第5回は18MF江崎世来選手です。豊富な運動量でピッチを所狭しと動き回る「マイナビのダイナモ」に今の思いやこれまでの歩みを聞きました。(取材はI神戸戦前の10月9日に実施)

中学時代はアカデミー堺と地元名古屋の2拠点生活

――チームとしても新しい顔ぶれでシーズンが進んでいます。今どのような手応えを感じながらプレーしていますか?

「今季はメンバーも大きく変わっています。練習の雰囲気も良いですし、選手同士のコミュニケーションが増えています。今季はまだ1敗ですが、勝ちきれない試合も続いています。でもその中でも負けない戦いができているので、そこを継続しながら、もっと勝ちにこだわっていけたら良いと思います」

――改めて江崎選手ご自身のこれまでを振り返っていただきます。ご出身は愛知県ですね。

「はい。愛知県名古屋市です」

――小さい頃はどんなお子さんでしたか?

「常に外で、男の子と活発に遊び回っていた感じです」

――サッカーを始めた時期やきっかけを教えてください。

「2歳年上の兄がいるんですけど、兄の試合を見に行って、『私もやりたい』と言ったらしいです。4歳からサッカーを始めました。近くの公園での週に1回くらいのスクールで、小学2年生の冬から名古屋のクラブチーム、緑FCに入りました」

写真=本人提供

――どんなチームでしたか?

「昔からある地域の街クラブです。以前は小学生までのチームでしたが、自分の1歳上くらいからジュニアユースのチームもできました。小学校からそのまま上がっていきましたが、すごい楽しかったですね。結構、練習時間も長かったんですけど、土日も1日サッカーをやっている感じでした」

――男子チームの中で、女子は江崎選手以外にもいましたか?

「当時私がいた時は1人でした。下の学年に、もう1人いたかな。女子は全然いなかったですね」

――中学校3年間男子と一緒にプレーしていたのですか?

「緑FCではそうですね。でも、中学時代、平日はJFAアカデミー堺に行ってたので、土日だけ、緑FCに戻ってプレーしていました」

――なかなかハードですね。優れた選手が集まっていたと思いますが、JFAアカデミー堺の環境はいかがでしたか?

「サッカーをするために必要な環境が全て整っています。食事も栄養バランスがしっかり考えられているし、サッカーに集中できる環境でやらせてもらっていたので、すごく良い経験でした。平日はアカデミー堺へ、土日は名古屋の家に帰るという生活だったので、今思えば大変だったなって思います。金曜の夜に練習が終わって、家に帰って、土日に試合をして、日曜日にはアカデミー堺に戻る生活をしていたので、自分でもすごいなって思います」

――毎週ホームシックになる暇もないぐらい行き来は忙しいですよね。

「すごく大変だったんですけど、でもそこでの3年間で心も体も強くなったのかなって感じています」

※JFAアカデミー堺は、平日は寮に寄宿しアカデミーでの活動を行い、週末や長期休暇は帰省し地元のチームでの活動を行う『週末帰省型』を採用。毎週末無理なく帰宅できる範囲の選手を対象としている。

豊富な運動量と無尽蔵のスタミナを培った高校時代。大学では「自分たちで考え行動する力」も身につけた

――その後は、岡山の作陽学園高等学校へ進みました。

「高校選びではいろいろなところへ体験に行きました。作陽に決めたのは、練習参加をした時にすごく楽しいと思ったことがきっかけでした。作陽からも誘ってもらって、『ここに行く!』という直感で決めました。本当に楽しかったです」

――大事なことを決める時は、割と直感が多いですか?

「はい!」

――この高校時代、「作陽のダイナモ」というキャッチフレーズも生まれたと聞きました。高校ではどんなサッカーをして、どんなところが一番磨かれましたか?

「練習は、朝練などでもずっとリフティングしたり、ドリブルの練習することが多かったので、ボールタッチの部分では成長したのかなと思います。あとは、よく走る。ほぼ毎日走っていたので、体力、運動量はここで身についたものだと感じています。本当に、毎日サッカー。時間があれば、自主練に行くほど。常にボール蹴っている感じだったので、今からそこに戻ろうと思ってもできないというくらいやっていました」

写真=本人提供

――そして帝京平成大へと進みましたが、ここも直感ですか?

「はい。練習参加して楽しかったということが一番。あとは最初の監督さんがなでしこジャパンの矢野喬子さんでした。『ここに行きたい!』とすぐに決めました」

――その4年間はどうでしたか?

「4年間は結構、いろいろなことがありました。1年生からお世話になった矢野さんは私が3年生の時に交代し、監督が変わるという経験もしました。その難しさ、大変さもある中で、チーム全員で『自分たちでしっかりやろう』と一致団結したこと。メンタル面での成長がありました。また最初の3年間は、サッカーの基礎、『止めて蹴る』という部分はかなり練習していました。サッカーの戦術も教えてもらって成長できたと思います。最後の4年生では、練習の強度も上がって、フィジカルの練習をタフにやる監督さんでした。ゴール前で体張るとか球際の部分では、その1年間で強く意識するようにもなりました」

マイナビ仙台レディース加入後、即レギュラーに。感じた力不足に誓った成長

――その4年間を経て、マイナビ仙台レディースからオファーが届きました。昨季の後期に加入してすぐにレギュラーにも定着しました。

「チームには良い選手が多かったし、プロの世界でこんな早く試合に出させてもらえるとは思っていませんでした。目指してはいましたけど、こんなに早いとは思っていなかったので、驚いた部分もありました。しかし、それでも試合に出させていただいたからこそ、成長できた部分もありますし、試合に出たからこその課題もたくさん見つかりました。このままでは戦えないというのはすごく実感しています。もっとやらないと上にはいけないし、まだまだチームのためにプレーできていない。もっと出せるんじゃないかということは思っていました。試合に出られているから満足してはいけないし、もっとチームの勝利に貢献したいという思いの方が強いです」

――ルーキーとは思えない堂々としたプレーぶりでしたよ。自分に厳し過ぎませんか?

「マイナビの選手はみんな上手いし、やっぱりWEリーグの他のチームの選手たちも、自分より上手い選手しかいない。私はまだまだかなって感じます」

――昨季は悔しい思いの方が多かったと思いますが、今季は開幕から生き生きとプレーしている印象です。江崎選手ならではの良さを出せているのではないかと。

「はい。今季は戦っていても、チームメイトが頼もしいです。みんなが全力で戦っているからこそ、自分ももっとやろうという気持ちになっています。守備のみんながすごいから大丈夫、やられないだろうという感じがあるし、前線の選手も点を決めてくれるだろうと。やっていて心強いです」

――前半戦はこの日テレ・東京ヴェルディベレーザ戦で折り返しのタイミングです。

「まだ1巡目も全ての試合が終わってないですが、この前半戦、引き分けは多いですが1敗だけというところで(※I神戸戦前。現在は2敗)初戦に比べたら少しずつ成長しているということを感じています。2巡目の戦い、後半戦も、もっともっと練習から突き詰めて取り組んでいけば、最後は良い順位にいられると思うので、目標である3位以内を目指しながら、どんどん目の前の試合を勝つという思いで戦っていくことができればいいかなと思います」

――WEリーグ初ゴールとなった第5節・浦和戦の先制点も見事でした。みんなで喜び合える時間は格別でしたね。

「自分がWEリーグ初ゴールを決められたということもすごく嬉しかったですし、ホームで勝利できたということが一番嬉しかった。やっぱりそういう強いチームに対して勝利できれば、自信につながると思うのでリスペクトし過ぎず、自分たちの全力で戦えたらいいのかなと思います」

――WEリーグでは2シーズン目を迎えていますが、江崎選手はこれからどんな選手になっていきたいですか?

「一番はチームを勝たせることができる選手です。結果でもそうですし、守備の部分でもチームを勝利に導ける選手になるということはずっと思ってます。そして、一番はもっと怖い選手になりたい。もっともっと自分で仕掛け、ラストパスを出す。もっと攻撃の起点に、そしてチームの中心選手になっていけるように成長していきたいです」

――サッカーをしている子どもたちには、どんなアドバイスを送りますか?

「まずは楽しんで欲しい。サッカーを楽しんでやってほしいなっていうのが一番です。私は厳しい環境でやってきた中で、サッカーを楽しめてないっていう時期も実際ありました。そうなると練習もサッカーをするのも嫌になってしまう。そうはならないように、楽しんでプレーして欲しいということが一番伝えたいことです。あとは小さい時はとにかくたくさんボールに触れて欲しい。ボールに触れることで成長できる部分もあると思うので、たくさん練習して成長していって欲しいなって思います」

文・写真=村林いづみ
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