「地元でプレーする誇り。経験を積んだ今だから、仙台に還元できることがある」
30 MF 佐々木美和選手
マイナビ仙台レディースの選手に、これまでの歩みを振り返ってもらう「マイヒストリー」。それぞれのサッカー人生に物語があり、かけがえのない記憶があります。第1回は今季、地元仙台に帰ってきたMF佐々木美和選手です。開幕戦で見事な“復帰弾”を決めた彼女のヒストリーを伺いました。
負けず嫌いな性格。可能性を引き出してくれる恩師との出会い。
――佐々木選手がサッカーを始めたきっかけはどのようなことでしたか?
「兄の影響です。5、6歳くらいの時に兄のサッカーの練習について行って、ボールを追いかけるのが好きになりました。そして私も、小学校に入学するタイミングで、黒松パルFCというスポーツ少年団に入りました。ただ無邪気にボールを蹴ることが大好きでした。当時はシュートを自分で決めるより、アシストの方が好きな子供でした。小学6年生の時に、周りは全員男子の中、たった一人の女子だった私がキャプテンになりました。6年間、サッカーがとても楽しかったです。」
――中学年代ではFCみやぎバルセロナに進みました。どのような経緯でしたか?
「小学生の時に、ベガルタ仙台などスクールをいくつか掛け持ちしていました。その時にお世話になったコーチが、FCみやぎバルセロナの監督になるということで、『もう少し頑張ってみないか』と誘っていただきました。他の女子チームに行くという選択肢もあったのですが、監督としても、『より上手くなって欲しい』と私の可能性を信じて誘っていただけたので嬉しかったですね。」
――中学生になる時に、どのチームでどうサッカーを続けていくか、悩む女子選手も多いですよね。FCみやぎバルセロナで学べたことで、その後につながっていったことは?
「女子だけのチームでもできることはたくさんありますが、私自身、男子とプレーするチームに行ったことで、他の女子たちに負けたくないという気持ちも強くなりました。中学生の男子選手は、段々とスピードも上がっていく。その速さについて行くのも難しくはなっていったのですが、FCみやぎバルセロナが全国大会に進んだ時もメンバーに入れてもらいました。スピードがある中で技術も磨くことができたので良かったと思います。」
――女子チームでプレーしたのは高校が初めてでしたか?
「いえ。FCみやぎバルセロナでは、最初は他に女子選手がいなかったのですが、2年生で5人、3年生で更に5人入ってきたので、最後の学年に女子だけで1チーム作れることになり、試合に出ることもできました。初めて女子だけのチーム。卒業後は女子だけの環境に行くこともあるから、そういう環境にも慣れるようにということでしたね。男子ばかりのチームに来るという女子たちは、覚悟があって個性も強い集団。そこでの経験が高校でも生きました。いろんな人がいるということを中学3年生で学べたことは本当に良かったです。」
ベガルタゴールドのユニフォームへの憧れ。先輩・浜田遥選手の金言。
――中学を卒業して、名門・常盤木学園高校に進学しました。
「常盤木の阿部由晴先生は、自ら考え行動するということを大事にしていました。チームメートとどうしていくか、話すことも多かったです。高校に上がって、同い年でレベルの高い選手たちとプレーできるということが嬉しかったです。3年間、阿部先生は怖かったですが(笑)、自分たちの代で、チャレンジリーグ優勝を果たしました。高校の同年代相手には結果は出せませんでしたが、チャレンジリーグで大人を相手に良い戦いができた。サッカーについて考えることやみんなでよく話し合うことができました。」
――2012年には発足したばかりの「ベガルタ仙台レディース」と対戦していますね。子供の頃から応援してきたベガルタ仙台の女子チーム。どんな思いの対戦だったのでしょう?
「当時高校2年生でしたが、まずユアスタでサッカーをするということが憧れでした。そこで仙台に女子チームができると聞いて、ユアスタでの初戦が常盤木。もう胸熱でした。嬉しかったですし、一方で絶対に負けたくない気持ちでした。自分が目指していたベガルタというチームで、自分よりも先にそのユニフォームを着ることができる人たちがうらやましいというか……。すごく観客も多かったですよね?(入場者数6532人)楽しかったです。」
――高校卒業後、2014年にベガルタ仙台レディースに入団しました。地元で女子のトップリーグでプレーすることになりました。
「高校を卒業して大学に行く仲間もいましたが、地元にチームがあって、そこにいち早く入ってプレーのスピード感も磨きたい、サッカーにフォーカスした道を選びたいと進んできました。しかし、高校を卒業したばかりということもあり、社会人とのギャップは大きかったです。スピード感やサッカーへの意識の部分が全く違っていて、練習後は泣きながら帰っていました。」
――いつも明るくふるまっているように見えましたが、実はそういう感じだったんですか?
「自分も未熟でしたし、今でこそ先輩たちは優しいですけど、あの頃はめちゃくちゃ怖かったです(笑)帰りの車では泣いていました。ネガティブになっていたら、同期の入江未希(現スペランツァ大阪)がポジティブ過ぎて、そこまではついて行けないんだよなーと思っていました。そしてハカさん(浜田遥選手。現スペランツァ大阪。今季限りで現役引退を発表)にいつも励まされていました。『最後に笑えば良いんだよ』って言ってもらいました。」
成長のために移籍を決断。海外で広げた視野は、“今”に生きている。
――仙台に5年在籍し、2019年にはノジマステラ神奈川相模原に移籍します。どのような決断でしたか?
「仙台での5年間、ほとんど試合に出ることができませんでした。試合に出て活躍するレベルに達していなかったです。でも地元だということから、どこかプレッシャーがあったんです。家族にも活躍している姿を見せなければいけないという思いもあり、自分自身も苦しい状況でした。それと、同じ環境にいるとどうしても慣れてしまう。同じ日々を過ごす中で、自分にとってきっかけというか、変わらなければいけない時期なのかな?と思い、移籍を決断しました。」
――対戦相手として宮城に帰ってきて、ゴールも決めていましたね。
「はい、決めました(笑)会場は角田でしたね。(2019年なでしこリーグ第11節)私がゴールを決めて逆転勝利でした。どこかで、『ベガルタの時はできなかった。でも本当はできるんだぞ!』という自分を見せたかったんですよね。気持ちも特別に入りました。」
――仙台から遠く離れてわかったこともありましたか?
「そうですね。自分のプレーの幅としても、できることが増えたり、できないことに気づかされたりしました。年齢も中堅の頃に移籍したので、立場の変化にも気づきました。」
――ノジマステラからオーストラリアに渡るという決断にも驚かされました。更に視野は広がりましたか?
「そうですね。日本から離れると“当たり前”が違う。言葉の壁で苦労したところもありましたが、いろんなことを吸収できましたね。今は、仙台にいろいろな国の選手がいるので、毎日みんなと話すようにしています。困っていても言葉がわからない時は、自分から踏み出すのが怖いんです。なんて聞けばいいかわからないし、頼っていいかもわからない。オーストラリアで、私がそうだったんです。でも自分から関わりに行けば、向こうから心配してくれて、助けてくれました。仙台に来ている選手たちにも少なからず不安はあるはず。大丈夫?という声はかけるようにしています。」
――そういうことができるのは経験したからこそ、ですね。数々の経験を経て、今季仙台へ帰ってきました。ベガルタではなく「マイナビ仙台レディース」、ユニフォームの色もブルーに変わっていました。
「似合わないんじゃないかと不安です(笑)新鮮ですね。メンバーは大きく変わりましたが、それでも当時のチームメートがいて嬉しいですね。」
杜の都でプレーできる喜び。地元・仙台をサッカーで盛り上げたい。
――もう新人ではない、頼もしくなった佐々木美和選手として、仙台ではどういう姿を見せていきたいですか?
「サッカーの部分では自分が経験してきたことを、見える限り、わかる限り、伝えていきたい。自分の特長である、必死にどんな相手にもくらいついて行くところは背中で見せられる選手になりたい。前にいる限りは、後ろから見てくれている選手がいます。そういうところはハカさんに気づかせてもらいました。ハカさんの背中を見たら、自分も追いかけていかなきゃと思っていました。自分も誰かにとってのそういう“背中”になりたいと思いました。サッカー以外でもイベントや地域の活動で貢献して、仙台を盛り上げていきたいです。」
――子どもの頃には、仙台でプロサッカー選手になるという未来を想像できましたか?
「いえ。まず、ベガルタのスクールに通っていた頃に、壱岐(友輔、現アビスパ福岡アカデミー、ヘッドオブコーチンング)さんがコーチをしてくれていて『仙台に(女子)のチームはできないんですか?』って何度も聞いていました。結局私が子どもの頃はできなかったので、いつかプロになるなら仙台ではないんだろうなと思っていました。まさかです。地元でプレーができるということは限られた人しか経験できない。やりたいと思っても、そこにチームがなければできないことです。そこにはすごく感謝をしています。チームのためにも、仙台のためにも、できることは全力でしていきたいと思います。」
――将来、プロサッカー選手を目指す子どもたちにはどんな声をかけたいですか?
「練習が嫌になる日、辛い時もあると思います。そういう時に必ず、『自分がサッカーをやっていて、楽しい時ってどんな時?』と思い返して、原点に帰って欲しいです。『自分はこのためにサッカーをやっているんだ』という瞬間は必ずあるはず。それを思い出して、サッカーに取り組んで欲しいですね。」
文・写真=村林いづみ