【マイヒストリー】西野朱音選手

マイヒストリー

「サッカーを楽しむ気持ちを大切に。きつい時こそポジティブに考える」 
26 MF 西野朱音選手

マイナビ仙台レディースの選手に、これまでの歩みを振り返ってもらう「マイヒストリー」。それぞれのサッカー人生に物語があり、かけがえのない記憶があります。今回はMF西野朱音選手にフォーカスしました。リーグ開幕戦でけがに見舞われましたが、リハビリに取り組み、セレッソ大阪ヤンマーレディース戦で復帰を果たしました。西野選手に、これまでのキャリアやこの先に懸ける思いを伺いました。

けがからの復活。太田選手の努力に励まされたリハビリ

――公式戦への復帰おめでとうございます。周りからはどのような声をかけてもらいましたか?

「おかえり!とか、ここからまたがんばってねという声をいただきました。よりがんばらないといけないという気持ちです。C大阪戦で復帰して、一番は勝ちたいという気持ちでした。残念ながら勝てませんでしたが、ピッチに戻ってこられてサッカーができたのは本当に嬉しかったし、楽しかったです」

――2024-25シーズン開幕直後、これからというタイミングでの左膝のけがでした。

「開幕戦に向けてコンディションを良い状態に上げられていました。今季はコンスタントに試合に出ていこうと思っていたのですが、そこでのけがだったので……。気持ちがガクッとなってしまった部分もありました。でも私以上に、長期離脱をしている(太田)萌咲が頑張っている姿を見ていました。落ち込んでいたら萌咲に申し訳ない。開幕から萌咲の分もがんばろうと思っていましたし、リハビリをしながら、早く戻ろうという気持ちにもさせてもらいました。復帰できたので更にがんばらないといけないです」

――西野選手は早くもマイナビでは5シーズン目を迎えています。

「長い方ですね。マイナビベガルタ仙台レディースに入団したのが2020シーズンです。一緒に入ったのが、(國武)愛美さん、松本真未子さん、福田ゆいさん、船木里奈さん、成田恵理さん、池尻茉由さんでした。そのメンバーで今仙台に残っているのは愛美さんと私だけです。先日そんな話を愛美さんとしていました。『うちら、同期だよね』って。メンバーも変わりましたね」

やんちゃな子ども時代。サッカーを楽しみながら技術を育んだ

――キャリアについて伺っていきますが、西野選手は富山県出身ですね。どんな子ども時代でしたか?

「出身は富山市ですが、山の方ですね。小さい頃から性格は変わらず、こんな感じ(笑)やんちゃですし、小学校の登下校も、普通の道ではなく、石の上をわざわざ歩くような子です(笑)」

――西野選手とサッカーとの出会いはどのような?

「サッカーを始めたのは、小学校1年生の時です。2歳年下の従弟がサッカーをやっていて、送迎について行ってボールを蹴らせてもらった時にすごく楽しかったです。そこからサッカーを始めました」

――最初はどんなチームに入ったのですか?

「新しいチームで、私たちが3期生でした。低学年の時は遊びのように楽しくボールを蹴っていて、学年が上がるにつれて、練習の内容も本格的になっていきました。グラウンドに着いたらリフティングから始まって、足元の技術を磨いたという記憶があります」

――中学年代では、富山レディースSCに入りました。

「富山には女子のサッカーチームが少なかったですが、富山レディースSCは温かい雰囲気のチームでした。中学校で入団した時は大人のカテゴリーもありました。自分たちの年代の試合も出ましたが、大人の試合にも出させてもらいました。良い経験をさせてもらったと思います。卒団してからも、地元に帰ると毎年必ず顔を出します。初蹴りや蹴り納めなどにもよく行っていて受け入れてもらっています。アットホームなチームです」

憧れの常盤木学園へ。高校サッカーだからこそ得られた経験

――その後、2017年に常盤木学園高校へ進学しますが、どのような経緯がありましたか?

「ずっと常盤木に行きたいと思っていました。小学校5年生の時に、おばあちゃんの家でテレビをつけたら常盤木と日ノ本学園の試合を放送していました。選手権の決勝だったのですが、京川舞さんや中田歩夢さんが出ていました。憧れましたね。練習に参加して、入学することになりました。同期は20人くらいいました」

――親元を離れての寮生活ですね。

「めっちゃホームシックになりました。入寮する時に、親が車で荷物を運んでくれたんですが、別れる時に母と泣きました。母は車で、私は寮の前で大泣きです。部屋に戻っても泣いていました。慣れるまで時間がかかりました。でもみんなと仲良くなり始めると、そっちの方が楽しい。家に帰らなくても大丈夫という風になりました」

――常盤木学園ではサッカーだけではなく、成績にも厳しく、礼儀も身につけると聞いています。

「厳しかったです。阿部由晴先生が(笑)サッカー部ならではのルールがありました。SNSも禁止です。サッカー部は移動教室には走っていかなければいけないとか。阿部先生の体育の授業では、サッカー部は急いで着替えて、早く行って準備をしなければいけないとか」

――阿部先生は怖かったですか?

「高校の時はとにかく怖かったです。私は結構怒られるタイプだったので。卒業してしまうとそんなことはないんですけどね。今は優しいおじいちゃん、みたいな感じです」

――2年生の時にインターハイで初優勝。高校時代は仲間と共にいろいろな思い出を作ることができましたね。

「高校サッカーに進むと決めた時に、選手権やインターハイなどのタイトルを獲りたいという思いがありました。高校に入ってからそこを意識することはなかったのですが、結果がついてきた時は嬉しかったです。高校生ならではの団結力もありました。寮生活をしていたのでサッカー部の仲間とはずっと一緒だったんです。卒業する時は寂しかったですね。一人暮らしになったので、部屋が静かだなぁと思いました」

――マイナビベガルタ仙台レディースでは、高卒の同期はいなかったですね。

「そうですね。実は、仙台のチーム内に同い年の選手はいないです。5年間ずっといないですね」

――それはちょっと寂しいです。しかし、西野選手は年齢に関係なくいろいろな選手と仲が良い印象があります。

「そうですね(笑)愛嬌があるってよく言われます。愛嬌で生きています(笑)」

世界を相手にした経験。生かすかどうかはこれからの自分次第

――西野選手はアンダー世代の代表としても活躍してきました。代表でのトレーニングや国際試合はどのような経験でしたか?

「世界を相手に試合をする経験ってあまりないことだと思います。そういう試合を若い年代で経験できたことは自分の中でもプラスでしかないです。経験したことをそこで終わらせるかどうかということは、これからの自分にかかっていると思います。代表での活動は良い思い出だけではなかったです。だからこそ、意識をもっと上げていかないといけないです。個のレベルを上げていくことが大事だと考えています」

――西野選手にとってのライバルや意識している存在はいますか?

「今、EL埼玉にいる長江伊吹選手は小学校の時からずっと一緒にトレセンに選ばれていて、富山レディースSCでも一緒でした。その後、長江選手は藤枝順心高校へ行ったんです。富山から順心にいったGKの選手もいました。私も同じところに行ったら甘えてしまうと思ったので、違う高校を選びました。ずっと連絡も取り合っているし、同じWEリーグという舞台でプレーしているので、高め合える存在だと思っています」

――仙台では入団2年目でWEリーグが発足して、マイナビ仙台レディースでプロサッカー選手となりました。

「プロになるタイミングが良かったと感じています。プロでやる以上はまだまだ足りないことだらけです。チームとして結果が出ていないので、そこで何かを変えなければいけないと思います。プロとしての自覚をもっとしっかり持たなければいけないと思っています。」

――プロサッカー選手として歩んでいく上で、どんなことを目指していきますか?

「プロになって自分の時間が増えたと思っています。どれだけ自分を鍛えることができるかということにフォーカスしていきたいと思っています。食事やケアの面でもそうですね。やっぱりすべてをサッカー中心にするために意識を上げなければいけないです。やるべきことは多いですが、それを考えながらやっていくということも楽しいです。学ぶことばかりですね。良い職業につけているなと思います」

――サッカーをしている子どもたちにはどのような声をかけてあげますか?

「サッカーをしていて、自分が楽しいかどうかは大事だと思っています。きつい時でも、楽しそうに夢中でサッカーをできるかが大事だと思っています。失点したり、きついことがあって下を向いてしまう気持ちもわかりますが、そこで『いや、まだいけるよ』と声を掛け合ったり、ポジティブに、元気にサッカーで出すようにしています」

文・写真=村林いづみ
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