【マイヒストリー】廣澤真穂選手

マイヒストリー

「復活のエース。けがを乗り越え、チームを勝たせるゴールを狙い続ける」 
9 FW 廣澤真穂選手

マイナビ仙台レディースの選手に、これまでの歩みを振り返ってもらう「マイヒストリー」。それぞれのサッカー人生に物語があり、かけがえのない記憶があります。今回は9FW廣澤真穂選手にフォーカスしました。昨シーズン7ゴールとチームの攻撃をけん引しましたが、開幕直前に膝の大けがに見舞われました。10週間のリハビリを経て、C大阪戦で復帰。後期も攻撃の中心として躍動している廣澤選手へ、これまでのキャリアやこの先に懸ける思いを伺いました。(取材はS広島R戦後の3月4日に実施)

けがからの復帰。自分がやらなければという責任を感じて

――後期の再開、S広島R戦では0-0のドローでした。守備に関しては手応えありの一戦でしたね。

「チームとしても守備の強度や球際のところ、体を張るというところができているなと実感しました。風に助けられたというところもありました。強風は自分たちも同じ条件だったので、その中であまりチャンスも作られずに試合を運べた。失点0に抑えられたということは成果なのかなと思います」

――一方で、点を取ることを考えると、ストライカーの立場としては難しいゲームだったと思います。

「そうですね。やっぱり失点0で抑えているけれども、勝つために点が取れていないという状況でもあるので、FWとして責任は感じますし、攻撃する回数も少なかったので、自分としてはすごい悔いの残る結果だったかなとも思います。全体が守備に入る中で孤立することも多くなるし、攻撃にかかる人数も少なくなっていく中で、どれだけ個で点を取れるかというところが大事になるのかなと思いました」

――難しいコンディションの中で、前からのプレスも行っていましたし、終盤は体力的にかなりきつくなるはずですが、最後まで走り切れていました。かなりフィジカルも上がってきている印象です。

「復帰明けはちょっとゲームをしてもきついっていうくらいで、これで本当に戦えるのかっていう感じだったんで、その時と比べたら、90分は戦える体にはなってきているかなっていうのは思います」

――シーズン前半を改めて振り返ってみると、本当に苦しいけがからのスタートでした。大きなけがは初めてでしたか?

「マイナビでの特別指定の時に、足首の手術をしています。その影響で、プロの最初のスタート(2022-23シーズン後期)がうまく切れませんでした。2季目となった昨シーズンは、ほぼ試合に出て、3年目の最初でけがという感じです。でもそこまでのサッカー人生はほとんどけががなかったです。中学・高校・大学と練習休まないタイプで、捻挫をしても1日で戻ってくる感じ。プロになってこれから、というタイミングでけがをしてしまったので、そこは辛かったですね」

――昨季の活躍があったからこそ、けがで始まった今シーズンの前期は相当苦しかったんじゃないかと思います。

「自分のこともありますが、結果が出ず苦しむチームを見ているのが苦しかったです。
今は何もできないし、みんなはすごいきつそう。ピッチに戻ったら助けようという気持ちが重なっていきました。一方で、自分のコンディション的にはベストという状態にはそう簡単に持っていけない。できるプレーの制限もあっていろんな葛藤がありました」

――前期の終盤には戻ったからこその辛さがあったという話もしていました。

「はい。ピッチに戻りたい。戻りたいと思ってたけど、戻ったら戻ったで、またちょっと高望みしてしまう部分もありました。すんなりいけると思っていても、やっぱり無理なところもあって……」

――万全で活躍できた2シーズン目のイメージが強くなってしまいますよね。
周りの期待高くなってしまいます。

「応援してくれる人の数も増えましたし、期待してくれてる人たちも自分の中で増えたっていう実感もありました。そういう声をもらうことも多いです。けがの時も、ファンの方々と関わる機会が多くて、その時もやっぱり『早く戻って、早く点決めて』ということは言っていただいていました。責任や自分がやらなきゃという思いは、強くなる一方です。今もそうですが、攻撃に関しては自分が引っ張っていかないといけないという気持ちを持っています」

――今年、背番号を9に変更しました。

「高校時代からずっと9番をつけていて、大学もずっと9番。9番という番号に愛着がありました。もし変えられるなら変えたいと思っていました。チームとしても、9番にするって言ってくれたので、そこでも責任を持とうと思いました」

――サッカー界で“背番号9”といえばエースストライカーのナンバーですね。

「チームの中での点取り屋ですし、攻撃を牽引する人だと思ってます。仙台の9番は宮澤ひなたさん(マンチェスター・ユナイテッドWFC)が背負っていた番号だったので、負けないくらいの活躍をしたいなっていう思いもあります。そうですね。でも9番を背負ってるからっていう重みっていうのは、そこまで感じてなくて、自分が好きな番号をつけているという気分でプレーしてます」

ドリブルが大好きな少女時代。ゴールを取る喜びを知りストライカーとなる

――廣澤選手のキャリアについても振り返っていただきます。サッカー始めたのはいつでしたか?

「小学校1年生です。父も兄もサッカーをやっていて、近くで『女子チームを立ち上げる』という話があって、お声掛け頂きました。鬼ごっこみたいなアクティブな運動が好きだったので、最初は『ボールを蹴りたいとかじゃなくていいから』と。そこからチームに入りました」

――どんなチームでしたか

「原FCなでしこというところなんです。男子チームには栗原勇三さん(元横浜F・マリノス)とか、女子チームができる前は上尾野辺めぐみ選手もいました。結構男子は強かったです。女子チームは小学校1年生の時に初めてできました。ピンクのユニフォームで、最初はボロ負けしちゃう感じでした。すごく和気あいあいとしたチームでした」

――楽しかったですか

「すごく頑張ろうと思い始めたのが小学校3年生くらい。1、2年生の頃は、本当にわけもわからず、ピッチで倒されてるって感じで(笑)ボールが必ず顔に当たるんです。そのまま泣いて、お姫様抱っこで外に運ばれるみたいな(笑)。一応出てはいるものの、何もできない選手みたいな……」

――可愛いですね。

「でも3年生くらいから、ゴール決める喜びがわかるようになってきて、そこからは男子チームにも参加したりしていました。女子チームの練習は週に1回しかなかったので、いろんなところに顔を出してサッカーをしてましたね」

――中学校は静岡の東海大学付属翔洋高等学校中等部へ。中学の時は、どこでサッカーをしていましたか?

「学校の部活に女子サッカー部がありました。1つ上の代は男子サッカー部と一緒だったのですが、自分たちの代で女子サッカー部ができました。女子を強くするということで、私たちの代で13人選手を呼び集めたんです。ナショナルトレセンに入ってる選手を集めていて、私もその中の一人でした。チームは強くなっていきました」

――どんな風にサッカーに取り組んでいたのですか?

「この中学校に行くと決めたきっかけは、練習体験しに行った時のドリブルゲーム。ドリブルしかできないゲームをしたんです。相手が何人いようが、そこに突っ込んで仕掛けていく。本当にドリブルしていくのが好きだったので、そのゲームをした時に、ここに入りたいって思いました。そこから、中学校最初の1年間は本当にドリブルだらけ。パスはほとんどしなかったです(笑)相手集めまくる、2人3人集めて倒しに行くみたいなサッカーをしていました。たまに自陣の方までドリブルで戻っちゃったりするので味方に怒られていたんですけど、それくらいボールを持つのが好きでした。本当に一番成長できた時期でした」

元日本代表のストライカーからの指導。FWとしての知識や能力を向上させた高校年代

――その3年間の後にノジマステラ神奈川相模原ドゥーエに入りました。

「小学校が終わって、中学校の時にトレセンで一緒だった仲間がみんな、ノジマステラのアヴェニーレに行くみたいな感じになったんです。みんなで行こうよ!と。その時に私はトレセンで納得いくプレーができていなかった。自信もなかったから、そのまま一緒にやったら、なんとなく流されてしまうと思って、環境を変えたくて静岡に飛んだんですよ」

――小学校を卒業して、親元を離れる決断をしたんですね。

「ホームシックにもかかったんですけど、それで3年間自分を磨いて戻った時に、前に一緒にやっていたメンバーを超えたい、見返したいというような気持ちがありました。高校ではクラブチームに行こうと決めていたので、セレクションを受けてノジマステラに戻りました」

――懐かしい仲間との再会もありましたか。

「小学校の頃、一緒にやってたメンバーと本当に同じチームでやることになって、やっぱり上手くなったねという風に言ってもらいました。中学3年間はサッカー漬けの毎日だったんですけど、その時間は無駄じゃなかったなと思っています」

――ノジマステラ神奈川相模原ドゥーエの時はどうでしたか

「トップチームの練習にも参加させてもらうことが多くて、二種登録もしてもらいました。高校生の時から試合もさせてもらい、高いレベルで刺激を受けました。そういう経験があったからこそ、今があるということを思ってます。
高校3年生の時の監督が元日本代表の野田朱美さん。野田さんもFWだったので、FWとしての技術や考え方とか、サッカーの細部のことを個人的にすごく教えてもらいました。FWとしての能力や知識はその期間に磨けたと思います」

――どういうことを教わりました

「いろんなことを教わりましたけど、FWとしてオフ・ザ・ボールの動きだったり、キープの仕方。ボールの延長線上に自分が入ることや、ボールを失わないっていうキープだったり、どうやって動き出すかという、ボールを持っていない時の動きを多く教えてもらいましたね。チームのサッカーもすごい。自分にパスを集めてくれて、スルーパスだったり、足元だったり、ボールをとにかくたくさんつけてくれてたので、今まででサッカー人生で一番点取ったのがノジマ時代だなって思います」

――たくさん取れました

「取れましたね。1試合で5点とか、チャンスの数がものすごく多かったので、それはチームメイトにも本当に感謝したいです」

――そして早稲田大学に進学しました。大学時代はどのように過ごしていましたか

「選手主体がモットーだったので、練習も4年生が考えて指示を出し、選手だけでやっているような感じ。
山田にいな選手と一緒にやっていて、2トップで組ませていただいて、『口が何個あっても足りない』というくらい守備ができていなかったんですが、良く面倒を見てもらいました。考える力は早稲田大学で身についたと思います。」

マイナビ仙台レディースでは、毎日成長のための課題と向き合う

――2022年夏、4年生の時にマイナビ仙台レディースの特別指定選手となりました。

「マイナビは熱意がすごかったです。思いを感じました。環境面も含め、このチームでやりたいと思いました」

――チームの顔というべき選手にもなってるのではないですか?

「マイナビでは悔しい思いもし、たくさん泣きました。今でも泣いていますが(笑)経験ある選手も多いし、今世界で活躍している選手たちとプレーできたことで、日々成長できたのではないかなと思います。毎日、課題が生まれるというのは、サッカー選手として良い環境です。自分が成長することで結果を残すことで、チームが勝つことにつながる。そう思っています。FWなので、自己中、わがままです。そんな感じでプレーしている私を許してくれる仲間に感謝したいです」

――後期、勝ってくために大事にしたいことはどんなことですか?

「再開して、初戦はS広島R。守備の時間は長かったですが、目指したいのは攻撃的なチーム。守備の意識が強い選手が多いのも私たちの特徴です。どうやって攻撃のチャンスを多く作り出せるか、相手に脅威を与えられるかが大事だと思っています」

――サッカーをしている子どもたちにはどのような声をかけてあげますか?

「自分のモットーでもある“楽しむ”ということです。サッカーを楽しんでいる時は一番成長できると思います。泣いたり悔しい思いを味わえるのもサッカーの魅力です。そういうこともある上で、最終的には楽しむこと。得意なことや好きなことに没頭する。点を取るのが好きだったら練習して点を取る。守ることが好きだったら、奪い方の練習をする。嬉しいとか、楽しいとか、自分の得意なことでサッカーを楽しむっていうのが一番大事かな、と思います」

文・写真=村林いづみ
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