「試合に出続けながらもっと成長する。幾度もけがを乗り越えて、万全のシーズンに」
36 DF 猪瀨結子選手
マイナビ仙台レディースの選手に、これまでの歩みを振り返ってもらう「マイヒストリー」。それぞれのサッカー人生に物語があり、かけがえのない記憶があります。今回はユース出身の36DF猪瀨結子選手に子ども時代や下部組織の時のこと、今感じていることを伺いました。
「負けていられない」“ユース出身”、トップ昇格第一号選手の意地
――WEリーグ、トップチームで4シーズン目が進んでいます。今感じていることはどんなことですか?
「今シーズンはスタートから、長い離脱がなくプレーできているのが嬉しいです。プレシーズンをけがなく過ごせたことが初めてで、開幕戦をピッチの上で迎えられたことは大きな一歩だと思います」
――今季のマイナビ仙台レディースにとっての初戦、WEリーグ クラシエカップ第2節の新潟L戦で後半に出番が来ました。どんなことを思いながらピッチに入りましたか?
「出るからには、自分のできることを最大限やろうと思っていました。準備もしていました。しかし、新潟L戦も、リーグ開幕となった千葉L戦も後半から崩れ敗れてしまったので、交代で出た選手が流れを変えることができないといけないです。まだまだ足りないことだらけなのかなと思います」
――9月15日のリーグ開幕戦でユアテックスタジアム仙台のピッチに立ちました。ユアスタでプレーした感触はいかがでしたか?
「ユアスタでのプレーはかなり久しぶりでした。ベガルタ仙台と同日開催のナイトゲームの時(WEリーグ2022-23、第16節AC長野戦)以来だったんです。スタンバイしている時からサポーターの方々が声をかけてくれました。自分のプレーを見せられたということは良かったと思います」
――今年のチームの雰囲気はどう感じていますか?
「フネさん(長船加奈選手)やシミさん(清水栞選手)、(佐々木)繭さんと年上の選手が入ってきてくれました。新加入ですが引っ張ってくれている存在だと思います。若手も接しやすい雰囲気を作ってくれています。ユース選手も多く入ってきている中で、年齢差はありますがまとまっている感じます」
――ユース出身選手が増えましたし、現役のユース選手も一緒にプレーしていますね。
「私がユースの時は、トップ選手がこんなに近い存在ではありませんでした。すごいなぁと思いつつ、うらやましい気持ちもあります。そんな中で、しっかりやれているユース選手たちが大勢いるので、負けていられないという気持ちです」
バスケットボールを蹴っていた⁉小さい頃は「時間管理の上手な子ども」
――改めて猪瀨選手の歩みを伺います。栃木県大田原市出身、小さい頃はどんな子供でしたか?
「活発な子どもだったと思います。ピアノや水泳、陸上、サッカー、英語。いろいろな習い事をしていました。今も、(サッカーと並行して)大学生活を送っていますが、その時から時間の使い方が上手い方だったと思います。忙しくても1週間は同じ流れで過ごしていたので、それがルーティンでしたね」
――タイムマネジメントのできる子どもだったのですか?
「そうですね(笑)」
――いろいろな習い事に取り組んでいた中で、サッカーとの出会いは?
「9歳です。兄がやっていて、その影響で始めました。最初、私は親からバスケットボールを渡されていたんです。でも兄の試合について行ったら、バスケットボールを蹴っていて……。いつの間にか、それがサッカーボールになっていました。小学校の部活で始めて、5年生くらいからクラブチームに入りました。中学からは栃木SCレディースです」
――栃木SCレディースでは、年上の選手も多くいましたよね。
「そうです。女子のトップチームもあったので、社会人の選手とも一緒にプレーさせてもらいました。その時に、久保田(圭一郎)さんという監督と出会ってサッカー観が変わり、今があるのかなと思います」
マイナビ仙台レディースユースの1期生として仙台へ
――サッカーへの理解を深めた中学時代を経て、高校からマイナビ仙台レディースユースへ。
「ユースの1期生でできるということで3年間同じ仲間でできるということは、強くなりそうだなと思いました。トップチームもありましたし、同期には元々知っている宗形みなみ(早稲田大学、大宮V特別指定選手)もいたので決めました」
――その時のマイナビ仙台レディースユース1期生は何人いましたか?
「最初は14人で始まり、最終的には11人になりました」
――猪瀨選手は、初めてのトップチーム昇格選手ともなりました。通っていた白百合学園高校のホールで、トップ昇格会見も行いましたね。
「最初は高校を卒業してすぐに大学進学も考えていました。しかし、高校時代もけががかなり多かったんです。3年生の5月まではリハビリをしていたのでトップチームの練習にも全然参加できませんでした。6月からやっと参加し始めて、そこからトントントンとトップ昇格に進んでいきました。決まった時は嬉しかったですし、びっくりもしました」
――白百合学園の以前の校長先生にお話を伺った時には「猪瀨さんはサッカーだけではなく、成績も、生活態度も素晴らしい」と絶賛していました。高校生活はいかがでしたか?
「勉強は元々好きなので、高校生活も勉強しながら、サッカーしながら充実していたと思います。楽しかったですよ」
――WEリーグ初年度のマイナビ仙台レディースへ後期から加入しました。同期は松永未衣奈選手でしたが、その頃のトップチームはどんな雰囲気でしたか?
「トップの選手たちはオーラがありました。私は最初はちょっと緊張していました。最年少で、一番年齢が近かったのは2歳上の(西野)朱音さん。その上はもう4歳上だったので、同年代の選手がいなかったんです」
――全員が年上とは環境が大きく変わりましたね。上手くみんなに可愛がられていた印象です。
「はい。ユースは1期生だったので、年下の選手ばかりでした。一番下って、こんな感じなんだって思いました」
興味を持っているのは「脳科学」。学びもサッカーも先入観は持たない
――サッカーをしながら、早稲田大学人間科学部での通信課程を両立させています。どんなことを学んでいますか?
「今は脳科学に興味があります。脳神経や脳領域についての授業を多く取っています。ただの興味本位ではあるんですが。学んでいるのが『人間科学部』なので、人間ってすごいなって(笑)」
――学んでいることでサッカーに生かされていることや関連していることはありますか?
「脳科学は、かなり心理学と関連のあるところなので、『心技体』の『心』の部分は、そこから学ぶこともあります。体についても、『人間科学部』は栄養の分野など、学べることが幅広いです。サッカーに生かせることもあります」
――そんな猪瀨選手の座右の銘は「虚心坦懐(きょしんたんかい)」。どのような言葉ですか?
「何事にも先入観は持たずに取り組んでいく。そういう姿勢を大事にしたいという気持ちがずっと自分の中にあります」
――人との付き合いでもサッカーを続けていく上でも、先入観は持たずにまずはやってみる。大人の考えです。改めて、今何歳でしたか?
「今、21歳です」
――その考えをピッチでも存分に発揮して欲しいです。2024-25はどんなシーズンにしたいですか?
「けがをせず、チームに貢献したい。試合に出続けながら成長できるシーズンにしたいです」
――けがを経験し乗り越えてきたからこそ、今けがと向き合っている選手たちの気持ちもよくわかるのではないですか?
「そうですね。サッカーをやれていない期間は苦しい時期なので、そういう人たちのために、今プレーできている自分が頑張らないと、と思います。責任やそういう思いもあります」
――サッカーをしている子どもたちに伝えたいことはどんなことですか?
「楽しみながら、自分の良さを伸ばし続けて欲しいです。自分自身、上手い選手ではないと思っています。ただ、戦えるところ、縦への推進力や守備の1対1の粘り強さという自分の武器でここまで来ました。それぞれの選手に、必ず良さはあると思うので、その武器で戦うことができるように、自分の良さを伸ばし続けて欲しいです」
文・写真=村林いづみ