「苦しい時を乗り越えて、勝利をつかむ。仲間と喜び合える時間は格別」
7 MF 隅田 凜選手
マイナビ仙台レディースの選手に、これまでの歩みを振り返ってもらう「マイヒストリー」。それぞれのサッカー人生に物語があり、かけがえのない記憶があります。第5回はMF隅田凜選手です。試合では、優れたテクニックにハードワークを惜しまない献身性を発揮。手を叩き、誰よりも声を出して、仲間を勇気づける存在です。彼女の歩んできた日々、そして今の言葉をお届けします。
名門の下部組織では中間管理職?高校1年生のキャプテン。
――神奈川県藤沢市出身の隅田選手。サッカーを始めたきっかけはどんなことでしたか?
「それはよく聞かれるんですが、ちょっと曖昧で……。確か、男子の国際大会をテレビで見たことがきっかけでしたね。幼稚園の年中さんの頃だったと思います。」
――どこかのスクールに入っていたのですか?
「幼稚園にサッカークラブがあったんですよ。そこに入って始めました。周りには男子しかいなかったですけど、あまり覚えていないんですよ。何も考えていなかったと思います。ボールを追いかけることが楽しかっただけですね。」
――小学校ではどのように続けていったのでしょうか?
「クラブチームに入りました。小学校1年からアルゼンチンFCというクラブにいました。5年生からは女子のチームにも入って、男子チームと6年生まで掛け持ちしていました。そして、中学校から日テレ・メニーナ(現、日テレ・東京ヴェルディメニーナ)です。」
――メニーナはセレクションを受験したんですか?
「はい。私の代の同期は3人しかいませんでした。1人はサッカーを辞めてしまっていて、もう一人はニッパツ横浜FCシーガルズのキャプテン、小須田璃奈選手です。」
――日テレ・メニーナは競争も激しく、選ばれし者しか入れないイメージがありますが、当時はどのように過ごしていましたか?
「メニーナ時代にキャプテンをしていたのですが、それが大きなターニングポイントになりました。高校1年生の時です。上に高校2年生も3年生もいる中で、私はキャプテンになり、その時すでに同期はいない状況でした。きつかったですよ。」
――それはなかなか辛そうですが、隅田選手の実力が評価されていたからこそですよね。
「いや。私の下の学年には長谷川唯(マンチェスター・シティWFC)や清水梨沙(ウェストハム・ユナイテッドFCウィメン)もいました。その代は9人くらいいたんです。私はたった一人で、いつも押しつぶされそうになっていました。下の代の子たちに……」
――先輩もいて、優れた後輩たちもいる。間に挟まれる中間管理職みたいな感じですね。
「辛かった思い出しかないんですが、年上の先輩に相談するというよりは、下の子たちと過ごすことが多かったですね。一人でいじけてボールを蹴ったりしていたら、みんなが『凜さーん!』と寄ってきてくれる、みたいな感じでした(笑)」
――年下の後輩たちが隅田選手に絡んできて仲良くするという雰囲気は、プロになった今でもありますよね。
「そうなんです(笑)」
名だたる選手たちと対戦。タイトル獲得や試合出場から得られた自信。
――隅田選手には絡んでも良いよという度量の大きさがありますね。そのメニーナ時代を乗り越えて、トップの日テレ・ベレーザ(現、日テレ・東京ヴェルディベレーザ)に昇格します。
「2012年からですね。高校2年生からの2年間はメニーナと兼任でした。ベレーザは怖いです。レべチ(レベルが違う)の怖さがありました。簡単にパスはもらえません。」
――錚々たるメンバーの中でプレーしなければいけません。
「それはもう、ボールを蹴るのが怖くなるくらいです。でも、だんだん試合に出られるようになって、自信がついてきました。」
――試合に出られたきっかけは覚えていますか?
「最初は全く試合に出られなかったですが、一度なでしこリーグカップ(2012年大会)で、選手が足りなくて出られた時があったんです。その決勝で、澤穂希さんや大野忍さんのいるINAC神戸レオネッサと試合をしました。16歳でその試合に出場して、勝つことができました。その時は何も考えていなかったですが、今になって考えてみたら、その経験があったからベレーザでも自信が持てたのかな?と思います。」
――すごいことをやり遂げていますよ。
「16歳であの澤さんと試合をする。震えました。しかも、当時のI神戸とベレーザはバチバチだったんです。ベレーザから移籍した選手も多かったですし、みんな闘志をむき出しにして戦っていました。」
――隅田選手はタイプ的に闘志を内に秘めるタイプかな?と思ったのですが、そういう選手がバチバチの争いの中に入るとどうなるんですか?
「結構、燃えましたよ。意外と燃えるんです(笑)」
仙台で過ごすのは、サッカーがある幸せな日々。特別な時間を噛みしめる。
――8年間をベレーザで過ごして、2019年に当時のマイナビベガルタ仙台レディースに加入しました。仙台での在籍年数も長い方になりましたね。
「もう5シーズン、6年目じゃないですか?長いですよね」
――仙台でもいろいろな変化を経験しました。プロのWEリーグも始まりましたね。
「毎年メンバーは違って、サッカーも変わっている中でやっています。私自身もけがを何度か経験していますが、サッカーができることがすごく幸せです。現役時代は、特別な時間だと、サッカー選手を辞めた人たちから聞いています。本当に幸せな時間だよと言われているので、毎日噛みしめています。」
――今季前半はけがの影響もあって、リーグ戦に出られない苦しい時間がありましたね。
「去年から私はけがが多くて、ほとんどチームの力になれなかったし、納得いくほど試合にも出られていないです。試合に出られたら思い切りプレーしたい。それでチームが勝てるように動きまわりたいと思います。」
――外から見つめて気づくこともありましたか?
「勝てずに、本当にみんなが苦しんでいるのを見て、何にも力になれなかったのが苦しかったです。その苦しみを、自分も一緒にプレーで共有できないということが苦しかった。できることをやろうと思っていても、声をかけることしかできなかったです。今は、プレーできる状態になったので、後悔がないようにやりたいです。」
――勝負の後期、個人としてはどのようにプレーしていきたいですか?
「キャンプでチームとして積み上げてきたものがたくさんあると思っています。個人としてもコンディションが上がってきています。前半戦、チャンスやゴールが少ないと感じていたので、ゴールに向かうプレー、縦パスやチャンスを作り出すラストパスをどんどん供給していきたいです。」
――サッカーを続けている子どもたち、サッカーを職業としたいと思っている人へメッセージを頂けますか?
「辛い時、苦しい時があるからこそ、成功した時や勝った時の喜びはすごいと思います。それをチームで喜べることは幸せなことだよと伝えたいです。サッカーで出会えた仲間は特別です。サッカーをしていなかったから出会えていないですからね。毎年メンバーが変わっていく中で、いろいろな仲間とプレーできる面白さもあります。サッカーを通した出会いは、本当に良いものだと思っています。」
「声をかけ続けました」復活の一戦、先発のC大阪戦は逆転勝利。
インタビューの2日後、隅田選手は第2節のセレッソ大阪ヤンマーレディース戦で、ダブルボランチの一角で今季リーグ戦初先発し、勝利に貢献しました。
――迎えた第8節C大阪戦は久々の先発でしたね。
「声を出し過ぎて枯れてしまいました(笑)勝利、最高でした。」
――枯れてしまうほど、声を張り上げていました。中央で味方を励ます姿が印象的でした。
「負ける気がしなかったんです。前半に我慢して、後半早々に失点してしまいましたが、その後、慌てることもなくボールを回すこともできていました。そこからチャンスが来て、流れを変えて勝ちきれたという経験は、今までにない成長だったと思います。」
――見事な逆転勝利でした。
「今季はホームで勝てていなかった。やっとホームのサポーターさんの前で勝てたので、ほっとしました。」
――ご自身のパフォーマンスはいかがでしたか?
「前半は特にほとんどボールに関わることができなくて、自分の頭上を通っていくような縦の展開が多かったです。後半、ちょっとずつボールが来るようになって、引き出せてチャンスも作れました。こういう戦い方もありなのかなと思いました。前半にしっかり耐えて、後半で相手が疲れたところで間を空けていくという戦いですね。」
――先制されてもそこで落ち込まない強さを見せました。
「後半始まってすぐに失点して、そこで落ち込んでしまうというシーンは前期にたくさん見ていました。そこは、何とかみんなに声をかけ続けようと思いました。次も勝てるように頑張ります!」
文・写真=村林いづみ