【マイヒストリー】横堀美優選手

マイヒストリー

「みんなに安心感を与えられる存在へ。若き攻撃的GKはチームと共に成長を遂げていく」 
16 GK 横堀美優選手

マイナビ仙台レディースの選手に、これまでの歩みを振り返ってもらう「マイヒストリー」。それぞれのサッカー人生に物語があり、かけがえのない記憶があります。第4回は16GK横堀美優選手です。開幕からゴールマウスに立つと、3試合でクリーンシートを達成。落ち着いたプレーぶりで勝利に貢献している若き守護神に今の思いやこれまでの歩みを聞きました。

常に身長はクラスで1番!小さい頃から大きかった横堀美優

――横堀選手は埼玉県のご出身。小さい頃はどんなお子さんでしたか?

「予定日よりも1か月早く生まれたんですが、その時すでに普通の赤ちゃんくらい大きかったそうです。身長も高く、整列すれば1番後ろで、小学校、中学、高校まで来ました」

――前の方に並ぶことに憧れたことはありましたか?

「(腰を手に当てる、整列の先頭のポーズ)これをやりたかった(笑)でも、高校は背が高い順に並ぶ学校でした。目立っていたと思います」

――子どもの頃はどんなことをして遊んでいましたか?

「ゲーム機も持っていたんですけど、公園で遊んでいた記憶が多いです。周りはみんな男の子ばかり。鬼ごっこやドッヂボールとか。小学校の時も休み時間は毎回外に出ていて、元気は良かったと思います」

写真=本人提供

――サッカー始めたきっかけですが、オフィシャルホームページには「好きな子がやっていいたから」と書かれていました。

「幼稚園の時によく遊んでいたメンバーがいたんですけど、そこに好きな子がいて、みんながサッカーを始めるとなったタイミングで、私も一緒に始めました。去年は『弟の影響で』って書いてあるんですけど、その時はちょっと恥ずかしくて……。今年から変えました(笑)」

――サッカーを始めたのはどのようなスクールだったのですか?

「幼稚園のスポーツクラブの中のサッカークラブです。週に1回練習があって、土日、試合がある日は試合をやってという感じ。サッカーの楽しさを知ろうというクラブでした。小学校3、4年くらいまでそこに通っていました。弟も入ってたんですけど、スポーツ少年団に行くとなったタイミングで『一緒についていくわ』と。私はサッカーを続ける予定ではなかったんですけど、ちょうど同年代の子に女の子がいて、せっかくだから一緒にちょっとやってみようかな、と」

――その頃は、まだフィールドプレーヤーですよね。

「はい。もう、考えられないぐらいの運動音痴でした。ボールもそんなに蹴れたという記憶もない。今とは全然違う感じでした」

写真=本人提供

行く先で縁がつながって、サッカーを続けてきた学生時代

――今では考えられないですね。中学校に上がる時にサッカーを続けるかというところは、大きい決断だったのでは?

「小学校5、6年の時に日本代表の試合があって、パブリックビューイングで地域の小学生が集まるみたいなイベントがあったんです。その時に友達の女の子は違うクラブチームでサッカーをやっていたんですが、『女子のスクールがあるからどう?』と誘われました。そのスクールでは同年代の女子で人数が集まっていて、『じゃあチームを作るか』と。自分たちが1期生で中学のチームが始まりました」

――それが埼玉のFCシュエットですね。

「はい。女子で自分の代でその地域の子たちが集まってチームができた感じです」

――1期生で始まり、どんな3年間だったのでしょう?

「埼玉には、ちふれASエルフェン埼玉があるじゃないですか。その下部組織に公式戦で初めて対戦して20対0くらいで負けました。その時はフィールドプレーヤーだったんですけど、こんなチームもあるんだなって衝撃を受けました。でも、自分たちも上手くなろうと、ちょっとずつ近づいていきました。その後、一応当時の埼玉県の1部に昇格して卒業しました。みんなめっちゃ上手いという感じではなかったんですよ。でもその時のコーチも1からサッカーを教えてくれました。最初はキックとヘディングだけ、みたいな基礎練習を繰り返していましたが、だんだん私もキックが蹴れるようになってきて、それが戦術になったりして。足元が特別だった訳ではないんですけど、ボールは蹴れました」

写真=本人提供

――1つサッカー選手としての強みを身につけることができましたね。中学校卒業後は山梨県の日本航空高校に進学しました。

「FCシュエットの時に、日本航空高校から、今度女子チームに力を入れるんだけど誰かいないかな?と声をかけられました。(日本航空高校に)女子チームがあるよ、と」

――高校ではGKでプレーしていましたね。

「はい。中学校2年生頃からGKに転向しました」

――高校生活はどうでしたか?

「その時はきつかったなっていう思いはあるんですけど、でも今振り返ったらすごく充実していました。あれだけサッカーのみに集中できる環境はありませんでしたね。今だったらご飯を作らなきゃとか考えますが、3食全て揃っていて、サッカーだけに集中した3年間は他になかったです。学校の8割は寮生でした。いろいろ大変なこともありましたが、最終的には楽しかったなって思える寮生活でした」

――チームの成績はどうでしたか?

「高校は、コロナ禍で3年の時にインターハイがなくなった年。選手権も最後は関東予選で負けてしまい、全国大会に出られなくて悔いは残りました」

勝てなかった大学時代に身についた、苦境で崩れないメンタルと団結

――悔しい思いをしましたね。その後、国士館大学へ進学したのはどういう経緯ですか?

「それも日本航空高校の先生が関係しています。男子チームの監督が国士館大学卒業で繋がりがあったと思います。高校で被ってはいないんですけど、入れ替わりの代の先輩が3人、国士舘大学に行っていました。当時は、関東1部とか2部とか、何も知らずに入っちゃったんですよね。でも入ってからはまず1部に上がろうっていう気持ちで入りました。3年の代で昇格して、4年生では1部で試合をしました」

――1部と2部の違いは大きかったですか?

「大学に入ってからは、ずっと2部で3位くらい。1年生の時は3位で入れ替え戦もなくて、2年生は入れ替え戦に行ったけれど、PK戦で負けてしまいました。3年の時は強くて、ダントツで優勝して上がったんですけど……、1部は難しかったなぁ。やっぱり全然2部とはレベルが違いました。まあ、なかなか自分たちも頑張ってはいたんですが、やっぱり一段階レベルが違うなと思いました」

――最後の学年は悔しい思いの方が多かったのではないですか?

「はい。本当に勝った記憶がない。負けばかりで難しい1年間でした」

――その悔しい中でも得られたものはありましたか?

「その中でも、自分のキックが通用する部分であったり、チーム負けている時でも、簡単には崩れない団結とか。いろいろありましたけど、どんな時も戦う気持ちというものはなくしちゃいけないなって思います。なかなか難しかったですけどね」

仙台で噛みしめるGKコーチの指導を受けられる幸せ

――そして昨年の後期、2月からマイナビ仙台レディースに加入しました。昨シーズンの5月のC大阪戦でデビューして、シーズンのラスト3試合で先発出場を続けました。昨季はマイナビにとっても、なかなか難しい年でしたが、ご自身にとってはどんなシーズンでしたか?

「大学を卒業して入ってきましたが大学でも勝っていってなくて、仙台に来てもなかなか勝てなくて……。最初は試合にも絡めていなかったですが、何よりもGKコーチがいるという環境が自分にとってすごく幸せでした。自分が今できることを考え、試合に出るというタイミングが来た時に、少しでもチームを救えるGKになれるようにということを考えて練習をしてました」

――上野拓也GKコーチは心強い味方ですよね。

「いつも和ませようとふざけています(笑)GKトレーニングは雰囲気がめちゃくちゃ良いですよ。GKコーチって、とても難しいと思います。上野さんはすごいなと思いますね。GK選手によって(ボールに)届く位置も違うし、1人1人を見て力を引き出せるキックも蹴り分けている。本当にすごいなと思いながら練習をしてます」

――結構、上野さんって他のキーパーの選手に聞いても、いろんな人の人生の分岐点にいたりしてて、日頃のトレーニングもそうだし、結構いろんな選手に影響を与えるような人だったりしてそんな人ですか?

「出会えて良かったという気持ちです。本当に上野さんがマイナビに来てくれて良かった」

公式戦で経験を積み、安心感を与えられるGKに

――そして今シーズンは開幕戦から7試合連続で先発しゴールを守り続けてます。

「準備はしていましたが、正直最初から出られるとは思ってはいなくて……。最初の試合とかもドキドキでした」

――とっても落ち着いているように見えましたよ。ここまでクリーンシートは3試合。失点しても大きく崩れることはありませんね。よく守れてる実感があるのでは?

「いや、いつも言っているのですが、自分のところに来たシュートがあまりなくて、フィールドプレーヤーのみんなが本当に体張って守ってくれています。その中で、ピンチを救えるセーブがいくつかできたというのは、1歩成長かなって思います。でも本当に仲間が体を張って守ってくれています」

――仲間ががんばってくれるというのもGKの力の1つ。横堀選手はそういう存在なんじゃないですか?

「本当にありがたいです」

――センターバックの西野朱音選手と三浦紗津紀選手の2人との関係性や連携はいかがですか?

「頼もしいです。前の2人は経験豊富な選手なので、要求とかもそうですし、何が必要か言ってもらえるのがすごいありがたいなと思います。よくふざけていますけど、やっぱりすごい(笑)」

――横堀選手がルーキーでマイナビに加入した時、GKコーチ経験者の須永純監督は「金の卵。ポテンシャルの塊」と絶賛していました。これだけ思い切り試合に出て、実戦で経験を重ね、しかも結果も出せている。チームと一緒に強くなっていく存在なのではないかと。

「そうですね。やっぱり試合の中でしか経験できないことがたくさんあると思いますし、そういう経験が自分の成長につながってるということは感じます」

――ピッチ上でもGKはゴール前で「これはピンチ」というような瞬間があったりするじゃないですか。それでも横堀選手は堂々と立っていられる雰囲気です。

「そうですね。それこそ(第5節)浦和戦などは、それほど危ないとは思わなくて、シュートが来ても『これは止められる』と結構冷静にプレーできていました」

――あの試合でマイナビは初めて浦和に勝ちました。試合後に本当に優勝したみたいな雰囲気でした。仲間と喜ぶ時間はどうでしたか?

「幸せでしたね。正直自分たちの中で(浦和は)格上という存在ではあったんですけど、その戦う姿勢としては、『自分たちはやればできるよ』と須永監督からも声がけがあったんで、本当にみんな戦えて出した結果だなって思います」

――チームは今年去年まで支えてくれたベテラン選手たち、経験ある選手たちが多く抜けて、新しい選手を迎えて進んでいますが、今季、この仲間たちとどんな目標を達成していきたいと考えていますか?

「まず、順位はこだわっていかなければいけないなと思っています。その中でも、試合では失点は0に抑えたい。GKの自分に出番がないのが1番ですが、失点0に抑えていくことで、結果的に順位にもつながるかなと思っています。まだ残り試合多いですけど、1試合1試合、大事になっていくと思います。今みんなで同じ方向を向けているので、続けていきたいです」

――横堀選手ご自身はどんな選手になっていきたいですか?

「いつも言ってるのは、“安心感があるGK”になりたいなって思っています。『横堀がいれば大丈夫』という存在になりたいなと思ってます。その中で守備だけではなくて、攻撃的なGKになりたいと思ってるので、クロスボールを1つにしても、キャッチしたらそのまま攻撃につなげられたり、守備で安定感出しながら、その後キック力を発揮できたらいいなと思っています」

――キーパーのとこから攻撃が始まってゴールが取れたら最高ですね。

「はい(笑)」

――サッカーをしている子どもたちに何かアドバイスの言葉をかけるとしたら、どんなことを伝えますか?

「私が思っているのは、出会いを大切にして欲しいということです。学校やチームなど様々な場でいろんな人と出会うと思うんですけど、その1つ1つの出会いが自分の将来につながると思う。人とのつながりは、友達でも、コーチでも、監督でも、また学校の先生もそう。出会った人のことは大事にして欲しいなって思います」

――そこまで考えると、出会った方からつながってきたご縁がいっぱいありそうですね。

「そうですね。中学2、3年生の時の担任がフットサル元日本代表の方だったんです。高校で本当は寮に行きたくなかったんですが、その方が『絶対自分のためになるよ』と言ってくれました。1つ、背中を押してもらえたなっていう存在。そういった、いろいろな方の助言に支えられることもある。やっぱり人とのつながりっていうものは大事にして欲しいなと思います」

文・写真=村林いづみ
タイトルとURLをコピーしました