【マイヒストリー】佐藤楓選手

マイヒストリー

「大事なのはサッカーを楽しむ気持ち。強みを発揮し、自分にしかないものを磨き続ける」 
19 DF 佐藤 楓選手

マイナビ仙台レディースの選手に、これまでの歩みを振り返ってもらう「マイヒストリー」。それぞれのサッカー人生に物語があり、かけがえのない記憶があります。第7回は19DF佐藤楓選手です。フットサル日本代表の経験を持つ佐藤選手は、仙台で長くプレーし様々な経験を積み重ねてきました。そんな佐藤選手に彼女の歩んできた日々や今の思いを伺いました。

フットサルで磨いた対人守備や技術が、サッカーでも生きている。

――佐藤選手は大分県ご出身。サッカーを始めたきっかけはどのようなことでしたか?

「兄の影響で始めました。兄のサッカーを見に行っていて、そこにいた保護者の方が一緒に遊んでくれて、面倒を見てくれました。そこでサッカーを教えてもらってとても楽しかったんです。サッカーを始めたのは小学校5年生です。」

――それまで、何か他のスポーツはやっていたのですか?

「小学1年生から空手をやっていました。初段を取るまで続けました。サッカーをやりたいという気持ちになって、空手はやめてしまいました。」

――空手をやっていたとは初めて聞きました。小さい頃の佐藤選手はどんなお子さんだったのですか?

「小学校の目の前に住んでいました。遊ぶのが大好きで、学校が終わったら、また学校に行っていました。誰かは絶対いるからそこで遊んでいました。」

――サッカーに加えて、佐藤選手はフットサルの経験も豊かですね。フットサルはいつから取り組んでいたのですか?

「中学校1年生からです。フットサルとは別で、HOYOスカラブというサッカーのチームに入っていましたが、監督の方針でスカラブでもフットサルに取り組んでいて、フットサルの大会にも出ていました。」

――サッカーとフットサル、共通するところもありますが異なる競技ですよね。

「はい。でも1対1のプレーや、相手との駆け引きなどはサッカーに通じるところがあります。サッカーを続ける上でも、とても良い経験になりました。」

――コートが狭かったり、そこでプレーする人数が少ない分、より対人の能力は磨かれそうですね。

「そうですね。そして私たちのチームは、“基本、ドリブル”という感じだったんです。ボールを持ったら運ぶということを、フットサルから学びました。」

――そこで身に着けた技術の高さは、サッカーにも役立っていますね。

「そうですね。そういうところはフットサルを経験したからこそだなと思います。」

本格的にサッカーの道に進み、なでしこリーグで重ねた経験。

――2011年からは、なでしこリーグの福岡J・アンクラスに入団します。

「最初はスカラブからの特別指定選手として入団しました。フットサルの日本代表でも活動していたんですが、サッカーの特別指定のお話があったんですよね。そこで1年半ほどプレーして、大阪に行きました。」

――スペランツァFC大阪高槻(当時のコノミヤ・スペランツァ大阪高槻)ですね。

「この大阪への移籍は、アンクラスが2部降格となってしまった時に決断しました。もっと上でやりたいという気持ちがあったんです。本並健司さんが監督で、選手として丸山桂里奈さんもいましたし、今INAC神戸レオネッサにいる成宮唯選手もチームメートでした。」

――2013年から大阪でプレーしました。2013年と言えば、当時のベガルタ仙台レディースとも対戦していますよね。2013年は共になでしこリーグ1部でした。

「はい、対戦しています。2013年、14年はよく覚えています。ベガルタ仙台レディースはアウェーでも、サポーターさんが太鼓を持ってきて応援していたんです。なでしこリーグではあまり見かけない光景だったので、本当に熱烈だなと思いました。」
※2013年5月5日のプレナスなでしこリーグ第7節、大阪高槻対ベガルタLで、佐藤選手は先発フル出場。試合はベガルタLが小野瞳さんのゴールで1-0の勝利。

――大阪に4年間在籍し、伊賀フットボールクラブくノ一に移籍しました。

「伊賀は1シーズンの在籍で、当時は野田朱美さんが監督でした。1年と短い期間でしたが、ポジショニングやサッカーの楽しさを経験できた年でした。」

WEリーグ発足で変わりゆく仙台の7年間。中堅からベテランへ。

――そして2018年には当時のマイナビベガルタ仙台レディースに入団しました。チームの名前は変わっていますが、仙台でのプレーは7年、6期目です。

「長いですね。(齋藤)彩佳さんをのぞいて、2番目ですかね。今はもう万ちゃん(万屋美穂さん、2022-23シーズンで現役を引退)もいないので。あの年は大勢仙台に加入して、(武田)菜々子や(高平)美憂もそこから一緒ですね。」

――佐藤選手も仙台の歴史を見ている一人ですね。いろいろなことがありましたし、多くの選手が入れ替わってきました。

「仙台ではいろんなサッカーを知ることができました。様々なポジションもやらせてもらいましたし、いろいろな経験をしたというイメージです。GKとFW以外のポジションは全部やったんじゃないですか?ほぼやっていると思います。」

――長く仙台でプレーして、ご自身の変化をどう捉えていますか?

「仙台に来たばかりの頃は中堅という年齢で、今はベテランの枠に入ってきました。年下の選手が多くて、フレッシュで元気だなって思います。私が来た頃とはまた違いますね。」

――佐藤選手のチームにおける役割も変わりましたか?

「そうですね。経験を伝えていかなければいけないですし、もっとみんなを引っ張っていける選手にならなければいけない。そういうところは頑張りたいです。」

――この7年の間には、WEリーグも誕生し、プロ化されました。大きな変化だったのではないですか?

サッカーに打ち込める環境はすごくありがたいですよね。感謝をしています。

どんな時も忘れない、一番大切なのは「サッカーを楽しむこと」

――これまで長くサッカーを続けてきて様々な経験をしてきました。佐藤選手が壁に当たった時は、どんな風に乗り越えてきましたか?

「上手くいかない時は、同じポジションの選手とよく話をします。そこで自分にしかないものを見つけて、磨くようにしてきました。自分だけの武器を出さないといけない。みんなと同じだったら試合には出られないです。そういうことはすごく考えて練習してきました。」

――そのスタンスはブレませんね。多くの経験を経て、これからサッカーにどんな風に取り組んでいきたいですか?

「なぜサッカーをやっているかというと、楽しいからなんです。それを忘れずに続けていきたいです。」

――どんな時が一番楽しいですか?

「やっぱり、勝った時。自分のプレーが上手くいった時も楽しいです。そういう気持ちを忘れず、常に楽しくやっていきたい。結果ももちろん大事です。でも自分が楽しくないと上手くいかないと思っているので、そういう気持ちを持ち続けていきたいです。」

――これからサッカーを始める子やプロを目指したい、サッカーに関わりたい子どもたちへアドバイスを頂けますか?

「諦めずに続けていって欲しいですね。そして、自分自身のことを知るということもとても大事だと思います。自分の良いところを伸ばしていったり、できないことができるようになるのはとても楽しいことです。自分に矢印を向けて頑張って欲しいですね。」

文・写真=村林いづみ
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