【マイヒストリー】長船加奈選手

マイヒストリー

「みんなに安心感を与えたい。後期はもっとみんなで“一つのチーム”に」 
2 DF 長船加奈選手

マイナビ仙台レディースの選手に、これまでの歩みを振り返ってもらう「マイヒストリー」。それぞれのサッカー人生に物語があり、かけがえのない記憶があります。今回は2DF長船加奈選手にフォーカスしました。ベガルタ仙台レディースから浦和レッズレディースへ移籍。今季約10年ぶりに仙台へ帰ってきた頼れるDFリーダーに、これまでのキャリアやこの先に懸ける思いを伺いました。

流れに身を任せてきたサッカー人生。まさかサッカー選手になるとは!

――サッカーを始めたのはいつでした

「サッカーは幼稚園の時からやっています。兄の試合についていってて、見ているうちにやりたいなと思って同じチームに入りました。中学に上がる時に一度辞めて、中学3年生からまた始めたという感じです」

――どのようなチームだったのですか

「男子のクラブチームで、入った時は女子が私の他に2人いたんですけど、すぐ辞めちゃって。そこからずっと女子1人でした」

――中学校に上がる時に一度サッカーから離れたんですね。

「中学では陸上部に入ったんです。陸上をやっていたら、ちょうど私と入れ替わりで卒業した先輩に豊津女子FCという地域のクラブチームでサッカーをやっていた人がいて、顧問の先生経由で誘ってくれました。そのチームの練習が週2回だったので、それなら陸上と両立できるかなと思って。授業が終わって陸上部で練習して、週2回くらい早めに帰って、夜はサッカーの練習行っていました」

――高校の時はどんな風にサッカーをしていたのでしょうか?

「高校は陸上部がなかったので、帰宅部になって、豊津女子FCで週2回のサッカーの練習だけやってました。公立高校だったんですけど、学ぶエリアを選択できるところでした。私はスポーツエリアを選んでいて、授業がめっちゃ体育が多かったです。1日中動いてるみたいな時もあるぐらい。男子サッカー部のコーチが呼んでくれて、サッカー部の練習に週1で参加したりしていました」

――高校生くらいになるとなかなか男子と一緒にはプレーしないですよね。

「もうスピードでは全然勝てなかったです。それでも小学校の頃に同じチームでやっていた子たちが多くて、『久しぶり!』みたいな感じで一緒にやってました」

――そんな高校時代を経て東京電力女子サッカー部マリーゼに入った経緯はどのようなことでしたか?

「その頃にはアンダーの代表に呼ばれていました。その時の監督が『練習参加しませんか?』と声をかけてくれました」

――将来的にサッカーを続けようということは考えていたんですか?

「いや、全くサッカーを続けるとは思ってなかったですね。成り行きでここまで来れたという感じ。ほんまに流れに身を任せて……って感じです(笑)」

東京電力女子サッカー部マリーゼでの日々。「もう一度、あの仲間たちと」ベガルタ仙台レディースでの再スタート。

――2008年にマリーゼに入団しました。その時の同期にはどんな選手がいましたか?

「同期が天野実咲さん、山本りささんと松永佳恵さん、佐藤衣里子さん、森本華絵さん。あと中原沙央理さんですね」

――当時のマリーゼはどんな練習環境でしたか

「本当に、その時代の女子サッカー界の中ではすごく環境良かったです。午前だけ仕事して、午後はすぐにJビレッジで練習ができました。寮があって、サッカーをするための良い環境でした。そして、ほんまに良いチームやったなって、今になっても思います。優しかったですね、上の先輩たちが」

――高校を卒業して大阪から福島へ。環境が変わっても上手く順応していけましたか?

「そうですね。あまり何も考えていなかったですね。その時に練習参加していたのが、田崎ペルーレとINAC神戸レオネッサとマリーゼでした。関西だしずっと練習にも行っていたので、田崎かなとも思ったのですが、マリーゼに行った時、ほんまに優しくて。フィジカルのトレーニングの日に、みんながめっちゃ声かけてくれて、『ナイス!ナイス!』って。めっちゃ良いチームだと思って、そこでピンときたっていうか、『ここかも!』と思ったので、全く距離や場所などは考えずに決めました」

――そこで3年間プレーしていた中で、2011年に東日本大震災が発生しました。

「その時は宮崎キャンプ中でした。テレビで福島や東北の状況を知りました。チームは休部になり、みんな自宅待機と言われた時に、絶望というか、ほんまに先が見えなすぎて。どうなるんだろうという漠然とした不安がすごかったです」

――サッカーができない状況でした。

「サッカーしてていいのかなという気持ちが強かったから、その時は休むしかなかったです。その後、仕事で東京に行くということになりました。他のチームでサッカーを続けるということは全く考えてなかったので、『体を動かしたいな』ぐらいの感じで日テレ・ベレーザの練習に参加させてもらいました。それが2011年のベレーザ加入のきっかけだったんですけど、その時も先のことは全く考えていなくて、流れに身を任せてという感じでした。ほんまにいろいろな方に助けられたなと思います」

――2012年にマリーゼから移管するという形で、ベガルタ仙台レディースというチームが誕生しました。そこで仲間が集まりました。

「その時は、噂でいろいろ聞いていたんです。どこのチームが手を挙げてくれているとか、連絡取り合ってる人から聞いたりしました。はっきりとは覚えてないんですけど、マリーゼから連絡が来て、仙台に移管することが決まった、と。絶対に戻りたいと思ったんです。ベレーザにも本当にお世話になったし、良いチームでした。でもやり残したことがあったし、途中で終わったマリーゼのメンバーが本当に良かったから。戻る選択肢しかなかったんですよね。移管が決まったと聞いた瞬間、仲間たちのところに戻るということを考えていました」

――仙台ではそこから2014年まで3シーズンプレーしました。長船選手は2013年にはベストイレブンにも選ばれましたね。やり残したことを1つ取り戻せたような時期ではありましたか。

「そうですね。みんなとまた戻ってできたっていうのは、ほんまに大きかった。ほんまにいいメンバーやったから、みんなとできて1つ区切りをつけることもできました」

――この3年間、仕事をしながらサッカーを続け、いろいろな方から応援されました。仙台の人は温かいとよく話していましたね。

「職場の環境も含め、恵まれました。今でも当時のやまやのパートの方々とは仲良しで連絡を取り合っています。昔から応援してくれてた人たちが試合を見に来て話しかけてくれたりするので、懐かしくて、忘れていないというのがめっちゃ嬉しかったです」

浦和で過ごした人生の大切な日々。チームが成長し、強くなる過程を経験

――今シーズン、仙台へは約10年ぶりの復帰となりました。その間プレーしたのは三菱重工浦和レッズレディース(浦和レッズレディース)でした。

「24歳から34歳。ほんま、浦和では大事な時期を過ごしたと思いますね」

――浦和もすごくいいチームですね。ここでの10年間、一言では言えないと思うんですが、どんな時期を過ごし、どんなことを得てきた期間でしたか?

「自分が移籍した時、レッズは“魔の2年間”という感じでした。全然勝てなかった。まだ24歳でしたが、みんな若くて自分が一番上くらいだったんですよ」

――ベテラン選手が多く抜けて、チームが大きく変わった時期でしたね。

「そうです。選手が多く抜けて、1年やって、2014年に浦和が優勝したんですよ。その次の年に入ったんですけど、そこからが全然うまくいかなくて。でもみんな若いし、徐々に強くなっていくチームで一緒に育ってきた感じでした。強くなっていく過程を全部体感できたみたいな感じです。それはほんまにすごい経験やったなって思うし、あの時にユースから昇格したり、ユースでやっていた選手たちが、今そのまま大きくなって成長して活躍している。みんなの成長も見てきたし、自分自身も成長できたし、チームとして強くなる流れを全部経験できたかなと思います」

――みんなで一緒に育ってきたとなると一体感も違いますか?

「そうですね。浦和は小さい頃から知っている選手たちが、そのままトップに上がってくるようなチーム。それもあってほんまに仲がいいし、みんなが分かり合ってるみたいなところがあったから、それを一体感のあるチームに入れたのはほんまにでかいなと思います」

一体感を持って、見ている人に元気を与えるサッカーをしたい。

――その大事な10年を過ごして、また仙台に帰ってきたというのも、本当に頼もしいですよ。仙台に復帰して、前期はけが人も多く大変でしたが、実際に半年過ごしてどうでしたか?

「ほんまに大変でしたよねですよね。結構きつかったですね。心身ともにほんまにきつかったです。勝てないもどかしさというか……、みんなががんばっているのは分かるじゃないですか。でも、なんだかうまくいかんし、どうすればいいかも分からんというか。何を変えればうまくいくのかもわからなくて、自分自身も本来の自分のプレーができていないなっていう感じもありました」

――その中で長船選手が後ろにいてくれる安定感は大きなものがありましたよ。浦和では大きなけがも経験し、公式戦でのフル出場は久しぶりだったと思うのですがいかがでしたか?

「意外と膝ががんばってくれました(笑)そして、本当にトレーナーさんたちにお世話になって、毎日のようにケアをしてもらったおかげです」

――経験や存在感でも長船選手は周りの選手たちに良い影響を与えていると思います。

「みんなに安心感を与えたいという思いは、もう昔からずっとあります。後ろにいてくれたら、安心して攻撃できるって思ってもらえるようなプレーはしたいから、もっとがんばらないといけないですね」

――前期は少し上向き始めたところで中段期にも入りました。後期はどんな風に取り組んでいきますか?

「やっぱり前期はけが人多くて、なかなかうまくいかなかったところもあります。本当に後期は、誰が出るかわからないぐらい人が増えたし、層も厚くなってると思うから、その中で自分自身ももっと必死になってやっていきたい。そして“チーム感”を出したいなっていうことを思っています。個々でがんばっているところはあるけれど、まだまとまっていないという感覚がある。そこをもっとみんなで補い合いながらやっていけたら、もっと良い試合にはなっていくかなっていうのはすごく感じるんで、みんなで勝ちにいきたいなと思います」

――後期のホームゲームは石巻市で行われます。3月は“復興支援試合”としてスタートしていきますが、応援してくれる方々、宮城や石巻の皆さんへどんなサッカーを見せたいですか?

「やっぱり元気与えたいというか、必死に戦っている姿を見てもらいたい。勝負事なので勝つか負けるかは分からないですけど、それ以上に『良い試合だったな、みんな頑張っていたな』という感動を与えられるような試合ができたらなと思います」

――最後に、サッカーをしている子どもたちに何かアドバイスを贈るとしたらどんな言葉をかけますか?

「サッカーを楽しんでほしいなって思います。やっぱりずっと厳しくやっていても楽しくないと思う。楽しくなかったら、それは見ている人にも分かると思うんですよね。楽しくやってる時って、見ている方も楽しいと思う。それは絶対伝わると思うから、まずは自分が楽しむ。楽しむためには、技術や走ることなど、いろいろあると思いますけど、そういうのを乗り越えた先に楽しいが待ってるっていうのを知ってほしいなと思います。」

――長船選手はサッカーを楽しめていますか?

「楽しめるように頑張っています!」

文・写真=村林いづみ
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