【マイヒストリー】特別編「彼女たちのヒストリー」

マイヒストリー

これまでマイナビ仙台レディースの歴史を支えてきた3人の偉大な選手が、2025/26シーズンを持って現役引退を発表した。マイナビ仙台の前身、ベガルタ仙台レディースの初期メンバーであるDF坂井優紀選手。なでしこリーグ1部を戦ったマイナビベガルタ仙台レディースの最終年から6季7年を仙台で過ごしたDF國武愛美選手。WEリーグ発足2年目となった2022-23シーズンから4季仙台で力を尽くした、FW後藤三知選手。仙台で三者三様の日々を送って来た彼女たちの思いと、かけがえのない「ヒストリー」をお伝えしたい。

「あの“坂井チャント”をまた聞くことができた」坂井優紀選手

2011年に休部した「東京電力女子サッカー部マリーゼ」から移管する形で発足したベガルタ仙台レディース。その初期メンバーがまた1人、現役を引退する。坂井優紀はトライアウトを経て入団。様々な困難を超えて再び集まった仲間とサッカーをする喜びを感じ、絆を結んできた。マリーゼの選手20人に、トライアウトを経て入団したのは坂井とGK齋田由貴選手のみ。不安でいっぱいだったが、以前から同じチームだったみたいに仲間の輪に入れてもらった。「2012年は最高のメンバー」と胸を張る。「いつかその頃の“ドリームチーム”でサッカーがしたい」。それは彼女の夢でもある。

「坂井、坂井!やってやれ!」長く愛される彼女のチャントは意外な経緯で誕生した。ベガルタ仙台レディースのアウェー戦に、柏レイソル戦の応援を終えたベガルタ仙台サポーターが合流した。前日に聞いた「酒井宏樹選手」のチャント。それを即興で坂井に向けて歌ってみたのだ。会場は大盛り上がり。彼女も喜んでくれた。長く仙台に在籍してきたが、WEリーグ発足時には、大宮アルディージャVENTUSへ移籍。その後、AC長野パルセイロ・レディースでプレーし、2025/26シーズンに6季ぶりに復帰した。「また、あのチャントが聞ける」。喜びを持って杜の都へ帰ってきた。

37歳、坂井は同期の希望の星だ。彼女たちの世代は1988年生まれ(坂井は早生まれで1989年)。ベガルタ仙台レディースの「889」世代は特に仲良しだった。坂井以外のメンバーは現役を引退し、指導者、選手のマネジメント業などそれぞれの道を歩んでいる。「優紀が現役だから関東で試合がある時は見に行きます。そうすると仲間が集まることができるんです。優紀のおかげでみんなに会える」。元チームメートの小山季絵さんはそんな風に教えてくれた。すぐ近くにはマイナビ仙台レディースのトップチームである有町紗央里コーチ、ジュニアユースコーチの田原のぞみさんがいる。同級生ながら、トレーニングでは「指導者と選手」として一本線を引く。マイナビ仙台レディースにおいてはチーム最年長の坂井だが、ピッチを離れ「889」の仲間の中に入ると、末っ子のような表情を見せる。

「人に恵まれた現役生活だった」。思うようにいかないこともたくさんあった。しかし、その人柄と泥臭いプレーで仲間に愛され、信頼されてきた。率先しておどけて、チームを盛り上げることも厭わなかった。誰よりも仲間を愛した。だからたくさんの人に愛されてきた。サッカー選手として、人として育んでもらった仙台の地で引退することに胸を張る。新しい人生も、坂井優紀らしく「やってやれ!」

「本当にチームメートが大好きになったから、この人たちと本気で勝ちたい」國武愛美選手

本格的にサッカーに取り組んだ中学年代以上で、国武愛美が3年以上同じチームに在籍したことはなかった。「中学、高校で3年ずつ。大学は2年でノジマステラ(神奈川相模原)も3年。仙台にこんなにいるなんて思わなかったです」。なぜ、これほどマイナビ仙台レディースが、仙台という街が好きになったのだろうか。「仙台に来て、すぐにコロナ禍。人に会えない、大好きな家族に会えない、とても辛い時期が続きました。それでも練習や試合ができるとなった時に、チームのみんなが本当に大好きになった。チームのお姉さんたちもみんな優しかったし、サッカーをしていて『この人たちと本気で勝ちたい』と心の底から思うようになりました」。國武は先輩たちに必死にくらいついて行った。そんな彼女を、経験豊かな選手たちはしっかりと受け止めていた。

なでしこリーグからWEリーグへ。プロサッカー選手として、日本女子サッカーの大きな転換点も仙台で過ごした。いつしかチームの顔となり、仙台でDFリーダーとして成長を遂げた國武は、周りの信頼も得てキャプテンも任されるようになった。しかしチームはなかなか勝てず、苦しい中でチームを背負わなければいけない年もあった。勝てなかった試合の取材で、チームを代表する声を求められ、沈んだ表情を感度も見かけた。「めっちゃ大変でしたよ。何度やめたいと思ったことか……。それでも応援してくれる人たちの声がありました。『いつか報われて欲しい』と声をかけてくれた人もいました。その想いに応えたいと思い続けていました」。ファン・サポーターの温かな思いに支えられ続けた現役生活だった。

「今シーズン限り」と、実は開幕前に決めていた。だからこそ、今年はピッチで思い切り活躍する姿を示したかった。しかし、度重ねるけがで思うようにはいかなかった。「悔いはない」。そう思える時が来たのだと教えてくれた。「いろんな人に支えてもらった。恩返しを今シーズンはできなかったし、去年、一昨年も良い成績ではなくて苦しかったけれど、自分がサッカーをしていることで誰かを元気づけることができたり、応援することを生きがいにしてくれてる人たちがいたと思う。そういう人たちには本当に心から感謝を伝えたいです」。WEリーグ屈指のギャルらしく、最後は明るく締めくくろう。「これからの人生は『なんかこいつ、サッカーをしていなくても輝いてるじゃん!』みたいな。そういうことを思ってもらえるような人生にしたい」。やっぱりギャルは笑顔が似合う。もっともっと輝く次のステップへ。国武愛美ならできる。

「どんな状況の中にも、感謝すべきところがある」後藤三知選手

「これまで一度も勝てなかった浦和に2戦2勝。優勝争いをしているようなチームに勝つことができている。本当に力を積み上げることができている」。第20節・三菱重工浦和レッズレディース戦は大西若菜のゴールで1-0の勝利。後藤三知はメンバー入りすることは叶わなかったが、長年力を注いだ古巣、思い出の駒場スタジアムへ足を運び、懐かしいサポーターへと挨拶をした。「浦和に対する思いはたくさんある。私にとって18歳から26歳まですべてを尽くしたクラブ」。キャプテンも務め、赤いユニフォームに誇りを持って歩んできた。「そういう選手がマイナビにも出てくるのではないかと思います。マイナビとして優勝争いをしながら、次を見据えて戦っていくことができるチームに」。今季はそういう土台ができつつあることを強く感じている。

仙台に来てからの4シーズン。後藤は様々な難しさと直面しながら、それでもひたむきに自らを磨いてきた。「クラブとしても本当に難しい状況を何度も経験しましたし、監督も変わりながらやってきました。1つのクラブが同じ方向性を向いて、しっかり長期的にやっていけるかということはすごく大きなこと。簡単なことではないですが、そういうクラブがWEリーグに、なでしこリーグにどれだけ増えていくか。日本のクラブに増えていくかが大事だと思う」。常に大局的に物事を捉える。後藤にしか出せない答えがたくさんある。

サッカーを続けてきた中で、様々なものを受け取って来た。「海外での4年半もそうですけど、どこのクラブでも本当に大変なこととか難しいことはもちろんある。そんな時に続けてきたことは感謝することです。大変なこと、コントロールできないことがあったとしても、そこには感謝すべきこと、感謝できることが必ずある。それによって次が見えてきたり、その局面が改善されていく道を見つけてこられたと思っています」。不平不満に走っては、見えるものも見えなくなる。「いつだって与えられているものがあって、そこへの感謝なしには、次に何かいいことをやろうとしても無理だと思うんですね。でもそれを大事にし続けたことで、どのチームでもプレーし続けて来られたと思います。けがもそうでしたけど、必ずより良い未来があるんだということを、サッカーを通して知ることができました」。彼女の言葉には常に大きな説得力がある。現役生活を通し、それだけ真摯に、自分自身と向き合って来たからだ。

「サッカー選手としてやってきたことが、次に生かせるなという思いがした。価値がある仕事をしたいと思ってサッカーを続けてきた。そのためだったら継続してやる。大事なことをやり続ける。それが私の特性です」。コツコツと積み上げ、愚直なまでにやり続ける。練習場で後輩たちへ見せてきた背中は、これから先の人生へとつながる。勝負の世界で生きてきた約21年間。後藤三知が次なる世界でどんなことを成し遂げるのか、他の誰でもなく、彼女自身が一番胸をときめかせているのではないかと思う。

文=村林いづみ
タイトルとURLをコピーしました